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9枚の写真が語るアルメニア1日目

怖いもので「ただいま」と帰ってくる場所がモスクワなのにはもう慣れてきました。笑 コーカサスの国アルメニアから無事に帰ってきて、今は明日の授業いきたくないよと現実逃避。一言で言えば夢の7日間でした。ほんとに。

そんな夢のアルメニア旅行1日目:

どきどきしながら飛行機で飛ぶこと3時間、アルメニアの首都エレヴァンに到着。
空港を出たときはまだ実感はそんなになかったなあ。

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タクシーの運転手の下手なロシア語にとまどいつつ、なんとか市街へ。
空港から市街までは30分もかからないくらい近い。

予約していたホステルがきれいで感動。
荷物を置いて、長袖だと少し暑いエレヴァンの町をいざ散策。

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雑誌で見るだけの世界だった共和国広場に自分が立ってる…
夢のアルメニアに自分が来てるんだーと嘆息。
写真は広場の中心にある博物館。
広場の周りにはホテル、郵便局、銀行、外務省などがずらりと並んでいます。
凝灰岩でつくられた建物がきれい。こんなとこに住みたい。

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共和国広場から少し北に移動して、オペラ劇場へ。
劇場前に立っている2つの銅像に書いてあるアルメニア語をガイドブック片手に判読。
アルメニア人にロシア語で聞いたほうが断然早かった。笑

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散歩しておなかがすいたので、今度はレストラン探し。
ガイドブックを頼りに安くてアルメニア料理が食べられるというレストランへ入店。
内装がいかにもコーカサスっぽくて良い雰囲気。
メニューも豊富で、ウェイターの妙なアドバイスも聞きつつ選択。

アルメニアの飲み物だというから頼んだ緑色のジュースに日本人驚愕。
あんまりおいしくない。笑
トゥアルハンみたいな難しい名前の葉っぱでできてます。

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気を取り直して今度はスープ。
アルメニアの伝統的なスープと評判の(!?)スパスにチャレンジ!
が・・・
ヨーグルトみたいな味・・・。慣れてくるといけるけど、自分からは食べないかも。
後日聞いたところではアルメニア人はほんとに好きらしい。
食べきれずに残しちゃったスパスの図(↓)

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メインもアルメニア料理のオンパレード。
僕のチョイスは葡萄の葉で包んだロールキャベツみたいな肉料理ドルマ。
味付けは薄味で、サワークリームみたいなソースをつけて食べます。

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他にも鶏肉のシャシュリク(串焼き)や羊の心臓とレバーを煮込んだトゥジヴニクを頼んだけど、全部おいしかった。こんなにいっぱいお肉食べたの久しぶりだったな。

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こんな感じでおなかいっぱい食べて、最後にはウェイターの人にジュースの葉っぱの現物見せてもらって、いろんなとこ写真とってってかなりやりたい放題な日本人3人衆でした。

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レストランでは、ジュース・スープ・メインをガッツリ食べて一人2000ドラムちょっと。
日本円だとなんと約600円。ガイドブック信じてよかった。

ホテルに帰ったら日もすっかり暮れて10時過ぎでした。(9時に日が暮れる)
初日からどっぷりアルメニアンで楽しかったv


でもでもこれは


めちゃめちゃ濃かったアルメニア旅行のほんのはじまり。

ウクライナから帰る日

旅も終わり。クリミア戦争の激戦地バラクラーヴァの夜風に吹かれながら、未だ頭の赤い山がそういってる気がしたクリミア5日目。手先ではお土産整理をしつつ、頭では一足早く旅行の反省をしている。

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今回はきっと前より有意義だった。少なくとも、カザンよりもプスコフよりも。
受動的だった博物館での身の振り方も変わったし、旅行を無思慮にしないための鞭の打ち方も掴めてきたし、失敗したときにあんまりパニックにならなくなったし。

ただ見ればいいってもんじゃない。この旅行のことを誰かに話すとしたら、何を話すだろう?
どんなことをここで吸収したんだろう?そして自分に足りないのはなんだろう?
吸収するだけの旅行なら、スポンジにだってできるもんね。足りないところを浮き彫りにすることとそれを補う方法を考えることは吸収以上に大事なのかもしれない。オーストラリアで見たカンガルーがかわいかったことよりも、今自分を前進させてくれるのはヴォルゴグラードで見た静かなヴォルガ川に反射する戦争の記憶のホログラムだったりするから。


明日起きれるか少し心配なベッドの上、窓の外ではクリミア南端の夜がさらさらと更けていく。
絵葉書という平面に収まった思い出をかばんにしまって、8時起床を目指して目を閉じた。


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ナヒーモフ総督、黒海艦隊博物館を回る余裕がある予定だったんですよ。計画では。
9時に起きたことにも驚いたし(バスは9時20分発!!)、
セヴァストーポリまで戻るのに1時間近くかかったのにも驚いた。
鉄道駅に着いたときには、もうシンフェローポリへ向かう時間。
とにかく急いで電車に乗って、電車の中で朝ごはん。
パンの名前をだいぶ覚えたのって進歩したことに入れてもいいよね。

シンフェローポリに着いたら1時間くらいひまが出来た。軽く昼食を取って、古本市をあさる。
マヤコフスキイの本を2冊買う。荷物が毎回重たいのは、ほんといつまでも改善されない。

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希少な本が買えて上機嫌なまま、空港へ向かうトロリーバスに乗り込む。
ここで計算が狂うとは、思いもしなかったよ。

10分ほど走った頃だったか、急に停車して運転手が外に出て行った。
なにやら天井で何かをしているらしいが、よく分からない。
「電線からはずれたんだ」という誰かの言葉でやっと、しばらくは動けないとわかる。

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後ろからきたトロリーバスの運転手の助けで、とりあえず電線へつながる棒を車体に収める。
「後ろのに乗り換えてください」といわれたので、乗り換えて空港に着くまで外の景色にみとれる。

おかしい。

そう思ったときにはもう遅かった。シンフェローポリ駅にまた戻ってきた。
そして運悪く、このとき既にリコンファームは始まっていた。遅刻するかも。
うわーどうしようと涙目になりながら、逆方向のバス停へ走る。
なんとか空港行きのトロリーバスに飛び乗って、少し安心する。

空港についてからも駆け足。
カウンターではパニックになって英語とロシア語を交互にしゃべる。
受付のお兄さんとお姉さんに爆笑されながら今度は荷物検査へ・・・。
出国スタンプを押されたときにはもう搭乗時間ぎりぎりだった。ここで変な心の余裕が出来る。

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モスクワに帰れるーと胸をなでおろした記念の一枚。
なんだか朝からどたばただったなあ。

空の旅は夕暮れ時。
ウクライナなのかロシアなのか分からないところを照らす太陽を脇に機内食をほおばる。
渡してから回収までの時間が15分ちょっと。意味もなくせかされる(笑)

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アエロフロートの近距離の機内食はたいていこんな感じ。
丸パン・黒パン・ハム・チーズ・野菜・バター・チョコケーキ・チョコレート・お茶かコーヒー。

クリミア旅行最後の日のどたばた。
しばらくは忘れられそうにないな、絶対。

遺跡ハイキング

クリミア旅行終盤はヤルタを脱出してセヴァストーポリへ!(地図参照)

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朝から良いお天気だったので、この機を逃すまいと遺跡公園ヘルソネスХерсонесへ。
この地には遥か紀元前5世紀からギリシャ人が入植を始め、
経済・政治・文化の中心として長らく重要な役割を担ってきました。

公園内に入って突き当たりにあるのが守護聖人アンドレイ像と聖ウラジーミル教会

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【聖ウラジーミル教会と守護聖人アンドレイ像(Andrew The First-called)】

壮大な聖ウラジーミル教会の前には最初の徒弟であり、使徒であり、キリストの同志である守護聖人アンドレイ像が建てられた。教会の言い伝えによると、守護聖人アンドレイはタヴリーダ(※)の地に初めてキリスト教の教えの光をもたらしたという。ヘルソネスにおける使徒の宣教活動は成功を収め、神の恩恵によって人々に光を当て、彼らの心と精神に共感を見出した。考古学者がその時代におけるキリスト教会の痕跡を発見していないにもかかわらず、正教信仰の種は蒔かれ萌芽を迎えた。1世紀の後、ここ古代ヘルソネスからウラジーミル大公が正教の光をルーシへもたらした。

※タヴリーダ…1783年にロシア帝国がクリミア半島を併合した際に用いられた同半島の名称。

(絵葉書の解説より、拙訳および注釈は引用者)

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【聖ウラジーミル教会】

ヘルソネス古代遺跡の上には壮大な聖ウラジーミル教会が聳えたっている。これは1891年にルーシ洗礼900年を記念して、十字架教会(おそらくここでウラジーミル大公が洗礼を受けた)が発掘された場所に建設された。ヴィザンチン様式の2階建て教会の設計は建築家であり教授でもあるD. I. グリムによってなされた。ウラジーミル教会の壮大さと美しさには思わずはっとさせるものがある。台座はガスプリンスキー石灰岩製の石版が施されている。前面とペディメント(※)は大理石の十字架、大きな金メッキの十字架を頂く丸屋根に飾られ、トタン瓦で屋根が葺かれている。内装もまた同じようにその豪華さが特徴的である。聖堂はアカデミー博士F.I. チャギンの指揮の下、有名なロシアの画家V. I. ネフ、I. A. マイコフ、A. I. コルズヒン、I. T. モロキンによって描かれた。1924年には教会が閉鎖された。第2次世界大戦中、建物は砲弾の被害を受け、それ以後老朽化が進み、荒廃していた。1992年にようやく教会での祈祷式が再開され、行われた修復作業が教会を復活させた。

※ペディメント…切妻屋根(山形の屋根)と水平面の間の3角形の部分。

(絵葉書の解説より、拙訳および注釈は引用者)


このきれいな教会を横切って進んでいくと海にでます。
ここには4世紀から5世紀頃の遺跡が多く保存されています。
ぽかぽか陽気に海風が気持ち良い。

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↑ここには何が建ってたんだろう?

↓霧の鐘。1776年に鋳造され、クリミア戦争時にはパリに持っていかれたそうです。

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開けた土地なので海の眺めがきれい。
ピクニックに来てる人もいっぱい。↓

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なんの建物だったのかと思ったら、これは教会だったそうです。
4世紀終わりから10世紀まではちゃんと存在していたんだって!
1935年に発掘されました。↓

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このほかにも博物館、古代の劇場跡などここに町があったのかーと感じさせるものがいっぱい。
広すぎて全部回ってる暇はなかったけど、古代ギリシャの雰囲気は十分に味わえたはず。

キリスト教に関してもっと予習しておくべきだったかなー。
最近「日本に帰ったらあれしなきゃこれしなきゃ」が多い、無学な岡野さんでした。

真面目に観光してみるも

古くから保養地と知られているクリミアには歴史の足跡が沢山ある。
ロシア文学のだったり、タタールのものだったり、ギリシャのものだったり
それはもうあらゆる時代の遺産が残されています。

欧米諸国と同じようにウクライナも国際婦人デーにわく3月8日、
比較的最近の足跡をたどってみた。

まず最初に行ったのはヤルタのお隣アループカにあるアループカ宮殿。
帝政時代の市政官のお屋敷で、1846年にイギリスの建築家が建てたことで有名。様式はイギリス式ですが、アラベスク模様でデザインされたドームや中国風にアレンジされた部屋などその当時の「粋」を凝縮したような宮殿です。ヤルタ会談の際にはチャーチル首相もここに宿泊したんだとか。

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(宮殿前から見たクリミアの山々:宮殿は写真中央の岩を使って作られたらしい。その際労働者としてモスクワ近郊から多くの労働者が送られたのだとか。)


宮殿からは海を見渡すことができる。
天気がよければもっときれいなんだろうなあ。

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宮殿を出てからはバスに乗ってアイ・トドール岬へ。
ここにはかの有名なツバメの巣があります!
近くで見ると圧巻。高いところ怖いので足がくがくでしたw

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バス停からこのお城までなんと1000段ちかい階段が・・・
それを上ったり降りたりしてはあはあ言いながらたどり着きます。
ツバメの巣の前でただずんでる時間より、階段の昇降のほうが時間をくいます。
でも岩の上に登ってツバメの巣を見下ろしたら階段のつらさなんてふっとんだ!
ガイドブックで見てたものが目の前にある感覚って毎度のことながら楽しい。

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ツバメの巣を出て、お土産屋さんでクリミア茶を買った後は一路リヴァーディア宮殿へ。
ニコライ2世の別荘として建てられたこの宮殿は、有名なヤルタ会談が行われた場所でもあります。
そんな歴史ある宮殿に到着ーーー

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と思ったら臨時休業・・・!!!!
ショックだ、ショック・・・

へこんでいても仕方ないので、門から庭を覗いて、皇帝のための厨房見て、併設されてる教会見てとぼとぼバス停へ。ヤルタに帰って遅めのランチに行ってきました。


そのあとはというと近所をふらふらしながら、きれいな教会に入ってみたり、
ロープウェイ眺めてみたり、金ぴかのチェーホフの胸像発見したりして

疲れたなあ、とグミ150グラム買って家かえって食べていたら・・・

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そのまんま朝まで寝入ってしまってました。


旅には休養も必要(笑)

イポーニェツ、タターリンになる

「今日は霧が深いねー。晴れるかしら?」

とみんながバスの中で口々に言っていたくらい、朝から濃霧で山の中が真っ白。

そんな1日は、長距離バスターミナルまでのマルシュルートカ(乗り合いバス)で降りそびれ(降りたい場所を運転手に言わないといけない)、ヤルタの山中迷子になることで幕を開けました。

それでもなんとかバスターミナルに戻るバスをつかまえ(文字通り)、
ヤルタから3時間くらい離れたバフチサライ行きのバスに飛び乗る。

日も高くなると霧も晴れ、青空と太陽が顔を出してくれて退屈な時間は外の景色を見てぼけーっとしてました。のどか。牛や馬やリスや羊やヤギや・・・と田舎振りが想像を絶してました。

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ながーいながーいバスの旅の末、バフチサライ市に到着。
駅前についた頃には朝の霧を忘れるくらい陽光が差し込むぽかぽか陽気。

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駅前からは「古い町」行きマルシュルートカでハーンの宮殿へ。
が、またしてもここでうっかりミス!
ハーンの宮殿に気づかず終点までのりすごしちゃったー。(本日2回目)


やってしまったー

と自分の馬鹿さに呆れていたら、マルシュルートカの運転手が「送ってあげるよ」って!
見るからにタタールの血をひいていそうな気のいいお兄さんに乗せられて、やっとのことで目的地ハーンの宮殿へ。ただで乗せてくれた上に入り口の場所までちゃんと教えてくれた運転手にほんと感謝。

その昔クリミア・ハーン国の首都だったバフチサライにある宮殿に入城↓

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敷地内には歴代ハーンのお墓もあります。(墓地には入れない)
すっごい変な形で統一されているあたりがおもしろい。

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客間や夏用の部屋、ハーレムに始まり、モスクや対談用の部屋などひろいひろい。
プーシキンが詩「バフチサライの噴水」に詠んだことで有名な涙の噴水もあります。
ここで解説員のおばさんとおしゃべりして盛り上がっていた岡野さんは写真取り忘れましたけどねw

言い忘れてましたけど、タタール文化(とりわけ帽子)がお気に入りな僕は
去年行ったタタールスタン共和国以上にタタールの面影が残るここで大興奮でした。

そんな帽子姿↓

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岡野さんは恥ずかしかったので帽子をかぶったままうろうろ、とかはしなかったんですが
ロシア人は恥ずかしげもなしに宮殿内はおろか駅前や街中でもかぶったまんま歩き回っていました。
たしかにここでかぶらなかったら一生かぶらないとはおもうけど(笑)


こんな風にタタールの歴史を堪能した後は腹ごしらえ。
中央アジア系なのかタタール系なのかわからないカフェでランチ!
バフチサライ風マンティ(中央アジアのシュウマイみたいなの)とラグマン(麺の入ったスープ)↓

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夕方のランチでおなかが満たされたので、
バスに乗って一路ヤルタにかえります。夕暮れの近いバフチサライとお別れ。

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古のクリミアを支配したハーンの町には
まだまだタタールは健在でした。

今回の旅行で一番楽しかった日かもしれないバフチサライ・ツアー日記を
おまけの1枚で終ります。

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そういえば、タイトルの意味は「日本人、タタール人になる」です。
おばさんに帽子似合ってるって言われたから、調子に乗ってみた(笑)

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