ボロージャのZUMZUMZUM

水がたのしいコーカサス

何よりもまず、無事です。



後ろから殴られたりすることも、怖い顔のおじさんに襲われることもなかったです。
安全じゃない瞬間は何度もありましたが、これはモスクワと同じくらい。



そんな北コーカサス。



おさらいします。
今回行ったのはロシア連邦南部連邦管区スタヴローポリ地方の保養地ミネラーリニエ・ヴォーディ(いわゆるミネラル・ウォーター)と作家レールモントフゆかりの地ピャチゴルスク。この一帯は鉱泉が多いため、「コーカサスの鉱泉」という意味のカフカースキエ・ミネラーリニエ・ヴォーディ、略してカフミンヴォーディКавминводыと呼ばれています。(ほんとだよ。)




そんなカフミンヴォーディの保養地としての歴史の始まりは19世紀にコーカサスで50年以上続いた戦争。この当時激戦地であったチェチェン・ダゲスタンに程近いピャチゴルスクに軍事キャンプがおかれていたそうです。この頃、傷を負った動物が水で傷を癒しているのが目撃され、それを応用して鉱水が兵士の怪我の治療(主に抗菌)に使用されるようになったのが保養地としての発展のきっかけだといわれています。




そんなカフミンヴォーディには水の種類が沢山あります。モスクワを含め各地で流通している飲料水アルヒスАрхызをはじめ、この地でしか飲めない水が何十種類もあるんです。またこの地では鉱水が医療に取り入れられ、独自の保養地学が確立されています。鉱水は温度・時間・量を調節することで効果が随分変わってくるんだそうです。今回はおもな時間をすごしたピャチゴルスクの鉱泉事情を紹介。




ピャチゴルスクのサナトリウム団地の中心にあるツヴェトニク公園に、市内に9個ある主要鉱泉のうち半分以上が集中しています。なぜならこの公園は高さ993メートルを数えるマシューク山のふもとにあるから。飲料水ギャラリーという不思議な施設があります。



こんな看板↓
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このなぞのギャラリーで何ができるかって言うと、そこに湧き出てるお水を無料で飲めちゃうんです。ちなみにこのギャラリーにある鉱泉は3種類。1階にはピャチゴルスク鉱泉17番(20℃と35℃)、2階には鉱泉2番(冷たい)と赤軍鉱泉(28℃)。保養地で療養している方々はここへやってきてお水を楽しんだり、大きなボトルへ詰めてもって帰ったりします。



ただ水を飲むだけなんて楽しくないと思うかもしれませんが、鉱泉の番をしているおばさんと世間話したり周りに植えてある植物を眺めたりしていると、ミネラル臭い癖のある水も1杯2杯と進んで長居してしまいます。そして水を味気ないコップではなく、鉱水を飲むための特別なコップで飲めば気分はもうロシア人w








そのすばらしいコップを口では説明できないのでご覧ください↓

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取っ手のようなところを口にくわえて、ストローのようにして水を飲みます。鉱水の中には酸度が強く、歯に悪いものもあるため、歯に触れずのどに直接届く工夫を凝らしたコップが使われるようになったそうです。コップはほとんどがこの地名産の陶磁器からできていて、デザインも秀逸。岡野さんももちろん買って使いましたv飲みすぎでお腹たぷたぷ。



他にも公園内にレールモントフ鉱泉2番、鉱泉14番と16番がありますが、技術面の都合により閉鎖されていました。残念。公園の外には炭酸水の鉱泉7番のホット(つまりあったかい炭酸)が飲める小屋があり、そこへもペットボトルを持ったロシア人が足を運んでいました。言及し忘れていましたが、ピャチゴルスクの鉱水は主に胃と十二指腸に良い効果をもたらすそうで、十二指腸がひどく弱っている場合は冷たい鉱水を飲むよう指示されるそうです。お腹はあっためりゃいいってもんではないらしい。




市内各所でこういった健康的な水が湧き出ているピャチゴルスクのスーパーには、お隣エッセントゥキ市とキスラヴォツク市の鉱水が並んでいます。500ミリリットルでもちゃんとビンに入った本格的なものが多く、鉱泉どころに来たなというのをここでも感じさせられました。



市販されている他市の鉱水↓

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(鉱水ナルザン、キスラヴォツク市:胃、十二指腸、慢性大腸炎、すい臓炎に良く効く)


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(鉱水エッセントゥキ17番、エッセントゥキ市:胃、十二指腸に良く、新陳代謝を活発にする)




こんな風に水について書くだけで日記が軽い図鑑になるほど種類が豊富です。水の味について言葉少な目なのは、おいしいとかまずいとかはあんまりないからですw水ですからね。ただ、鉱泉から直に汲んで飲む水はにおいが(特に硫黄臭)ひどくて、飲みながら普段飲んでいるミネラル・ウォーターって栄養ないのかなーなんてちょっと悲しくなりました(笑)






さてこんなに長々と水について書きましたが、岡野さんは別に水のためにカフミンヴォーディに来たわけではありません。





作家レールモントフですよ、レールモントフ!!





本来の目的であるレールモントフをそっちのけで、お水ばっかり飲んでいたの図↓

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というわけなので







レールモントフについて見て聞いてしてきたことは、こんなに長くかけません。

田舎へ流刑されてみる

プスコフ散策後、都市間バスに乗ってプーシキンスキエ・ゴールィへ出発。
バスがびっくりするぐらいぼろぼろなのと、道が舗装されているにもかかわらず路面ぼこぼこなあたりがびっくり。岡野さんはその間よだれたらしながら爆睡していましたけどねv



走ること2時間半、プーシキンの流刑先に到着。

※余談ですが、A.S.プーシキンはロシアきっての国民詩人。バイロンに影響を受けたロマン主義志向の詩や散文の作品もさることながら、ロシア語の文章語を確立したという点においても、ロシア文学、ロシア史において重要な位置を占める人物です。彼は帝政を批判したとして母方の領地ミハイロフスコエに流刑されてました。その場所が今日でも史跡公園として保存され、邸宅が博物館として公開されています。プーシキンスキエ・ゴールィとは「プーシキンの山」の意。

ちなみに、プーシキンはこんな人↓
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そんなプーシキンスキエ・ゴールィ観光はプーシキンのお墓参りから始まりました。
修道院の一角にひっそりと保存されている墓には、こんな寒い冬でも花が。
思わず「ついにここまでやってきたよ」と一息。
ビデオで見て行きたいなーと思った場所に実際に立つのはなんだか不思議な感じ。



墓前ではこんな気分だった:



プーシキンさん、こんにちは。
しがない日本人留学生が、ロシア文学の聖地にずかずかとやってきました。
何にも勉強していないので本当あわせる顔がないですよ。
モスクワに帰ったらもうちょっとまじめに取り組みたいと思います。
今日はお会いできて光栄です。これからお宅に伺います。



ちょっと自分を恥ずかしく思いつつ、プーシキンの領地ミハイロフスコエへ。
このミハイロフスコエ、地図だとすごくちかく感じるんですが、実はめちゃめちゃ遠い
ホテルから歩いて1時間。その距離約3.5キロ・・・死
高校の遠足以来こんなにながく歩いてないです。



滞在中2回ミハイロフスコエにいったんですが、
1回目の帰り道は寒すぎて思わずヒッチハイクしました。
人間寒さには勝てません。



さてそんな領地ミハイロフスコエですが、寒いせいか岡野さん以外の観光客はおらず、
邸宅博物館も貸しきり状態でした。屋敷は意外に小さかった。


これがプーシキンの住んだ屋敷↓
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部屋は乳母の部屋、両親の部屋、客間、食堂、書斎から成っていて、それぞれの部屋が個性的で面白かった。「エヴゲーニイ・オネーギン」の草稿やプーシキンの落書きとかも見れたvプーシキンの書斎は簡素で、書斎机と椅子、ベッド、棚、鏡くらいしかない。食堂の窓からは湖が見えてて、静かな時間をすごせそう。



領地に面した湖↓
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一休みは田舎のカフェで。
ミハイロフスコエの入り口にあるログハウスでブリヌィとコーヒー。
寒くてすぐにカフェに入ってしまうので、博物館代よりカフェ代のほうがかかってますw
こちらでは今がクリスマスの準備の真っ最中。



ミハイロフスコエにたどり着く前、不覚にも道を間違えさまよっていた岡野さんは、ロシアの田舎に遭遇。人よりも犬にいっぱい会いました。こわい。



ロシアの田舎の家↓
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田舎の風景が楽しくなってきた3日目、もうプーシキンスキエ・ゴールィとお別れ。
また例のおんぼろバスでプスコフへ。
プーシキンスキエ・ゴールィで10キロくらい歩いたので帰りのバスでも爆睡w
一番後ろの席で横になって本気で寝てたら、おじさんにニヤニヤされた。



プスコフからは、0号車の場所がわからずにパニックになってみたり、
ミンスク行きの車両に乗り込もうとしてとめられたり、
ドイツとバルト三国の出張を終えたガスプロム勤務のおじさんに出会ったり
しながらなんとか無事にモスクワに帰りつきました。



いろいろ見たり歩き回ったりした今回の旅行の一番の思い出はめちゃめちゃ寒かったこと!!!3日間食事と睡眠以外ほとんど外だったからね・・・。

しばらく部屋でぬくぬくします。

ロシア北部で母国に出会う。

早朝にモスクワに帰還しました、こんにちは。



23日の19時28分モスクワ、レニングラード駅を出発。
翌朝7時35分着だったのでプスコフで朝ごはん食べて、
午前中にいろいろ見て回ってー、と計画していたんですが、忘れていました




モスクワよりも北にあるので日の出が遅いのを



朝8時前の駅舎↓
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予想外の真っ暗闇に失敗したなと思いつつとりあえず中心地のレーニン広場へ。



しかし、カフェが見事にしまっていまして朝ごはんも食べられない
なのであてもなく通勤ラッシュで渋滞してる道路わきをさまよってみる。
気分はクリスマスイブだったのにロシアは旧暦でクリスマスを祝うのでまだまだこれから。


プスコフのクリスマスツリー↓
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10時前になってやっと日が昇り、目的のクロム(クレムリン)へ。
プスコフはその名が年代記に登場してから1100年ちょっと(適当)を数える古い町。
古くからその中心を担ってきたクレムリンには平日でも多くの人が訪れます。
海外からの観光客もちらほら。



クロム内の教会↓
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教会は再建されてきれいなんですが、城壁はそのまま。
見栄えはしないけど歴史を感じます。



城壁↓
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クレムリンを散歩した後は、寒くて死にそうだったのでカフェへ避難。
外国人が全体的に少ないのと、アジア人がまったくいない環境に身の危険を感じる。
子供はこっちじーっと見てパンかじるし、大人は「中国人だー」とばかり言っているので完全にアウェーw
あなたたちの隣国はエストニアやベラルーシだけじゃないです。



昼食後は夕方のバスの時間までふらふら散歩。
街中はなんっにもないので川沿いの景色を楽しみながら散策。
ガイドブックと同じ場所から写真撮影してみる。



川岸から撮ったクロム↓
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由緒あるスラヴ民族の町プスコフですが、
ほかのロシアの都市と同じように日本ブームに沸いています



大通りに面した日本カフェ「ワサビ」は繁盛しているみたい。
気になった岡野さんがメニューを見てみると、
うどんはスープに分類され、照り焼きはテレヤキ、とんかつはトンカツォになっていたりして突っ込みどころ満載でしたv



歴史ある町プスコフはもう異国ニッポンに遭遇しているみたいです。

カザン2日目。

次の朝はごはんをたべるカフェ探しで幕を開けました。ロシアはカフェの始まる時間が遅い。9時に始まるところをやっとのことで探し出し、いざ朝食。

スメタンニクときのこ入りラプシャー(麺入りスープ)


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スプーンについた葉っぱが写真とる前にフライングした感じを物語っていますが(笑)、実際美味しかったです。スメタンニクは初めて食べたけど、薄味チーズケーキみたいな味。伝えにくいw


たっぷり朝ごはんを食べた後は、住宅街をふらふら散歩。住宅街の中に教会を発見し、礼拝を少しだけ見学してきました。日曜日だってことわすれてた。その横に廃墟になってる教会あって、友達と地下にもぐって軽く冒険。普通に怖かった。


廃墟になってる教会。ちょっと不気味。


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住宅街を抜けると、レーニン通りに。ここは実際ウリヤーノフ家(レーニン一家)が1888年から1889年まで約1年間暮らしていた通り。レーニンはこの近くのカザン大学に通っていたのだとか。ギムナジウムを論理学以外を5の成績で卒業した後、政治活動で追放されるまでの間ここで学び、マルクシズム同好会などの活動に参加していたそうです。同時期にはゴーリキイやシャリャーピンもカザンに住んでいたことがあって、ゴーリキイは後にレーニンとの関係を―我々の精神的なつながりはカザンにある(カザン時代は知り合いじゃなかった)―と回想しているそうです。

ちなみにこの通りにあるレーニンの家博物館では、館長兼解説員が開館11時に遅刻するというハプニングに見舞われるも、入場券代10ルーブル(約50円)で解説を全てしてくれたのでなんだか楽しかったです。「レーニン」っていう人間像を知ることが出来て興味深かった。

レーニンについて詳しくなった後は、自由広場の奥にあるタタールスタン中央文化センターへ。ここはタタールの昔から現代までを石像や遺跡、衣装や絵画、写真などと共に概観できる博物館。プーチンがイスラムの服着てる写真とかもあった。タタールの民族衣装もたくさん観れて勉強になった。

夕方になってやっとお昼ご飯を食べに中心地へ。たった2日で中心地に何度もきてます。笑 今度はタタール料理。友達はスープ・トクマチを、僕は包み焼き料理エチポチマクを。ほかは名前が難しすぎて記憶できずw薄味で日本人には嬉しい味付けでした。名物のお菓子チャクチャクもお店で購入し、夕暮れの市場を散策。

その後は夜の電車で一路モスクワへ帰還。今回も電車は解放寝台。先生には内緒wお土産のチャクチャクで話をそらせる、はず。



ところで留学生活も2ヶ月が経過しましたが、お菓子の名前くらいしかロシア語まともに学んで無いような気がするのは気のせい?



チャクチャク↓
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カザン1日目。

南の次は東。

寒くなりつつあるこの頃でも旅行したい欲は衰えません。今回旅行した場所はロシア連邦はヴォルガ河のほとりに位置するタタールスタン共和国の首都カザン。

モスクワから電車で12時間かけて、現地に朝8時前に到着。そこからホテル探し。まあホテルくらいすぐに見つかるだろうなんて高をくくって予約も何もしてなかったけど、



駅前のホテルは満室、もしくは高い部屋のみ。



こまった。



と、ちょうどいいところに交番があったので友達が聞いてみると



みんながそれぞれに知ってるホテルの名前を言い出して、結局ホテルを警察の車で数件まわることになる。親切すぎ、ってか暇すぎ。笑

これでホテルも見つかるだろうと思いきや、遠足などの宿泊が重なってどこもいっぱい。途方にくれて、中心地をぷらぷら。背の高い高そうなホテルを発見し、値段を聞いてみる。

が・・・1万円近いのであきらめて、日借りできるアパートの場所をロビー係のおばさんに聞いてみると、アパートは無いけどホテルに半額くらいで泊めてあげるといいだす。意味が分からないまま掃除のおばさんを紹介され連れて行かれる。


掃除係「今からこの部屋をかたづけるからここにとまりなさい。2人で1200ルーブル(約6千円)よ。鍵はフロントに預けちゃダメ!これは秘密よ。」


つまり、


掃除係が清掃し、鍵を返却することで空室が分かるシステムらしいんだけど、掃除係がそれを利用して、掃除がおわったけど鍵を返却して無い、空室なのに未清掃扱いの部屋を僕たちに安く提供してくれたってこと。裏口宿泊とでも言うのか?笑

こんなことしてていいのかと思いつつも、野宿はいやなのでここに決めることに。

ホテル探しに2時間近く費やした後は、世界遺産にも登録されている、カザン・クレムリンへ。正教の教会もあれば、イスラムのモスクもある、不思議な場所。

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モスクの中のイスラム博物館でひとしきり愉しんだ後は、イスラムグッズを物色。帽子が魅力的すぎて大興奮。観光客丸出し。

世界遺産になったこともあってか、寒い日にも関わらず観光客がわんさか。ま、ほとんどがロシア人だけどw

クレムリン見学後はウズベク料理屋さんでランチ。150ルーブル(約750円)でスープとメインとコーヒーが頼めたので大満足。ついでにお土産屋さんもまわっていろいろ買いあさる。

午後からはタタールスタン共和国民族博物館へ。原始時代は独自の文化、そのあとにモンゴルの支配が、そして中世にロシア帝国の支配っていう複雑な歴史によって織り成されてきたタタールスタンの歴史に親しめてよかった。一番楽しかったのは兵士を正しい順番で兵装させるゲーム。これでちゃんと兵装できる。笑

博物館で頑張りすぎて眠くなったので、夕暮れの中心地を散策するも、寒さと眠さに負けて、結局ホテルで2時間昼寝。

昼寝から覚めた後(午後9時)は、警察に7時以降は出歩くなと言われたにもかかわらず、周辺散策。市街地だし明るくて、人も多いからまあいっか、みたいな。笑 

夜の中心地、バウマン通り(Ул. Баумана)の教会。


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これがカザン1日目。つかれた・・・

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