テストの山を越えたのでのんびりと午後を過ごしました。
それでまた映画。
テストはあと一日残すのみ、という解放感の中午後の大学で半泣き。

今日観たのは『ブコバルに手紙は届かない』。米伊ユーゴの合作。
監督は・・・ボーロ・ドラシュコビッチBoro Draskovic(調べた)
セルビア人の男性トーマとクロアチア人の女性アナの新婚夫婦が内戦に巻き込まれ離れ離れになってしまうという映画です。
このころ多くとられたユーゴの内紛が題材になっているのですが、
カンヌでパルム・ドールを受賞した『アンダーグランド』(エミール・クストリッツァ)とは描き方がぜんぜん違う。『アンダーグランド』が半ばユートピア的なイメージを残して現実の向こう側へ飛び立っていくのに対して、『ブコバルに手紙は届かない』は徹底したリアリズム志向。破壊された街も本物なら、「異国=遠い場所」というイメージを与えかねない「バルカンさ」もかなり排除されていた気もします。
迫力がすごいので、
内戦だとか民族だとかの感覚に鈍い日本人なぼくにも
ズシンとくるものがありました。
言葉も通じて、見かけでは違いが分からない。
カトリックか正教かなんて違いには触れもしないのに、
「クロアチア」か「セルビア」かで殺しあう。
たくさん「なんで?」って思ったけど、
自分の知らないことが多すぎて解決できなかった。
でも「セルビア語」が出来た背景の一つであることは確か。
ユーゴの歴史は言語問題への入り口だと改めて痛感。
といろいろ考えが廻っていたのですが、
映画を観た感想としては
トーマとアナのように「セルビア」と「クロアチア」がJa te volim.(愛してる)って言い合える日が来たら良いなあと無責任にも思いました。
これを観て今セルビア人、クロアチア人は何を思うのだろう?
いつかちゃんと聞いてみたい。
関係ないですけど、ここ数日毎日のようにルースカィエ・ラジオ(Russian radio)でタトゥーの「Нас не догонят(Not gonna get us)」がかかってます。
懐かしい。笑
それでまた映画。
テストはあと一日残すのみ、という解放感の中午後の大学で半泣き。

今日観たのは『ブコバルに手紙は届かない』。米伊ユーゴの合作。
監督は・・・ボーロ・ドラシュコビッチBoro Draskovic(調べた)
セルビア人の男性トーマとクロアチア人の女性アナの新婚夫婦が内戦に巻き込まれ離れ離れになってしまうという映画です。
このころ多くとられたユーゴの内紛が題材になっているのですが、
カンヌでパルム・ドールを受賞した『アンダーグランド』(エミール・クストリッツァ)とは描き方がぜんぜん違う。『アンダーグランド』が半ばユートピア的なイメージを残して現実の向こう側へ飛び立っていくのに対して、『ブコバルに手紙は届かない』は徹底したリアリズム志向。破壊された街も本物なら、「異国=遠い場所」というイメージを与えかねない「バルカンさ」もかなり排除されていた気もします。
迫力がすごいので、
内戦だとか民族だとかの感覚に鈍い日本人なぼくにも
ズシンとくるものがありました。
言葉も通じて、見かけでは違いが分からない。
カトリックか正教かなんて違いには触れもしないのに、
「クロアチア」か「セルビア」かで殺しあう。
たくさん「なんで?」って思ったけど、
自分の知らないことが多すぎて解決できなかった。
でも「セルビア語」が出来た背景の一つであることは確か。
ユーゴの歴史は言語問題への入り口だと改めて痛感。
といろいろ考えが廻っていたのですが、
映画を観た感想としては
トーマとアナのように「セルビア」と「クロアチア」がJa te volim.(愛してる)って言い合える日が来たら良いなあと無責任にも思いました。
これを観て今セルビア人、クロアチア人は何を思うのだろう?
いつかちゃんと聞いてみたい。
関係ないですけど、ここ数日毎日のようにルースカィエ・ラジオ(Russian radio)でタトゥーの「Нас не догонят(Not gonna get us)」がかかってます。
懐かしい。笑
Comment*4


アタシは何も考えず、今日、ソフィアコッポラのマリーアントワネットを見ました
セット&おかしにキャーみたいな
もっと深身のある人間になりたいものです。。。