今月はまだまだやることいっぱいでのんびり出来そうにない。
それでも筆を起こすのは、現実逃避したい気持ちが半端ないから(笑)
この前エルミタージュ劇場で「ハルムス!チャルムス!シャルダム!もしくはピエロの学校」という劇を見た。もっとも愉快で軽率な人のための劇と銘打ってある、とっつきやすい作品だ。ちなみにこの長いタイトルを見て、即座にハルムスという名前に反応できる人がいれば、まがうことなくこちら側の人間です。
そう、これはダニイル・ハルムスの作品をモチーフに製作された劇。
彼は20世紀初頭の数十年を彩ったロシア・アヴァンギャルドの作家。
1905年生まれ。
1912年ごろには未来派の一グループ自我未来連合ができて、1917年に10月革命。1922年にフレーブニコフが病死して、30年にはマヤコフスキイが自殺と考えるとアヴァンギャルドの全盛期の頃はまだまだ若かった。詳しくは知らないのだが、42年にラーゲリで亡くなったらしい。
彼の作品は長らく黙殺され、1986年に最初の出版が始まった。しかしながら今日でもその作品の多くは知られておらず、同じアヴァンギャルドでもマヤコフスキイ、エセーニンのようなビッグ・ネームに比べると出版状況もすこぶる良くない。
ハルムス!チャルムス!シャルダム!
(エルミタージュ劇場HP)
劇はくだらなく面白い「表面的な笑い」の横軸に、テクストや演劇そのものに対するハルムスの思想を取り入れた内面的な「深さ」の縦軸を重ねたかのようなつくりになっている。自分が位置する座標にかかわらず―つまりハルムスを知らない人にも知っている人にも文学的な思考が好きな人にもただ笑いにやってきた人でも―楽しめる、バランスの取れた秀作である。
(数学に弱いので、この文章の説得力の責任は負いかねます。笑)
舞台で演じられているものは、たとい現実から切り取ったものであったとしても、舞台に持ち込んでしまった時点でもはや現実ではない。まったく非日常なものとなってわれわれの眼に映るのである。
―おそらくこういった内容のことが劇で語られたのだが、この思想はフォルマリズムの理論家シクロフスキーが用いた概念「異化(остранение)」に通ずる。アヴァンギャルドが(とりわけ未来派が)用いた、日常を非日常化してとらえ、その存在の価値を復活させるという手法はここでも生きている。これは劇監督の意図的なものなのであろう。いわゆる「活きた」アヴァンギャルドを観るのは初めてだったので、鳥肌が立つかと思った。
こういった既にある知識の範囲でも十分面白かったのだが、やはりハルムス自身が志した志向だったり手法だったりを知らなかったのは悔やまれた。少し知識を培ってからまた観るのもいいかもしれない。(そもそもこの劇を観たのは好きな俳優が出てたから。笑)
劇を観てから最初の月曜日、文学の先生にハルムスを授業で扱ってってお願いしたら断られた。マニアックであることと、学校の授業で扱う範囲を超えているからというのが主な理由。
これを読むと先生が意地悪そうに響くかもしれないが、彼女は岡野さんのマニアック度において振れ幅の大きい質問に丁寧に答えてくれる良い先生である。
そして今週、会うなり
「あなたのためにハルムスのこと調べてきたんだけどね。」
そう言って雑誌に載っていたハルムスの記事の切り抜きおよそ5ページ分をプレゼントしてくれた。未だ読んでないけど、今週末のまとまった時間にでも読むつもり。記事に載っていた写真をみてすぐピンときたのが、ハルムスの好きだった服装と似た衣装をピエロの一人が身にまとっていたこと。これを読んだらエルミタージュ劇場へ駆け込みたくなるかもしれない。
こんな調子で趣味のアヴァンギャルドにどっぷりつかって楽しいんですが、ロシア語の授業では「ロシアの伝統的でない文学」というたいへんたいへん恐ろしい教科書にいじめられております。笑
ポストモダンを中心にセレクトされた哲学的短編を読み、思考した上にその場でとっさにロシア語で話さなきゃいけないので頭がパニックです。今週の小説はなんとヴィクトル・エロフェーエフ。
うーん、コンセプチュアリズム☆
あーどんな授業になるんだろう(死)「一寸先は闇」です、文字通り。
こんな感じで暮らしていると日本の先生に報告したなら、いったい何ていうだろうと少々心配な僕です。(オーソドックスな留学は2月をもって閉店したようです笑)
実はそれよりも
ロシア・トランジット・ビザ問題が浮上してあわてているんですが。

