ボロージャのZUMZUMZUM

朝焼けはここでは静か

【最近観た映画のメモ】
日本公開されないとは思うけど、ネタばれが嫌な人は見ないほうが英断だと思われます。
ロシア関係の人はこのブログなんかより映画を是非見てください。

●映画『朝焼けはここでは静か』(...A zori zdes' tikhie)
1972年製作(ソ連)、戦争映画

A_zori_zdes_tikhie_poster.jpg


舞台はロシア北部。白夜とオーカニエ(方言の一種。アクセントのないОがモスクワ風にаにならない)からそれが見て取れる。時は第2次世界大戦、先生曰く終戦間近。兵士とその家族が住んでいる。主人公の兵士はまともな教育を受けていないが、祖国を守るために兵士として日々ドイツ軍の襲来に備えている。そこへ志願兵としてモスクワから高校を卒業したばかりの女子の一団がやってくる。彼女たちはもちろん戦地での経験はなく、軍事学校で学んでいたわけでもない。

教育のない田舎の兵士と都会から来た女子の一団。最初はお互い分かり合えないものの、戦地での交流を通して次第に理解が深まっていく。そんな折、女子団の一人がドイツ人を発見して、兵士と女子5人(確か)で近くの沼地へ捜索へ出かけることに。戦地での経験はおろか、山道を歩いた経験すらない女子たちは苦戦し、兵士の手を煩わせる。しかしながら互いに助け合い、励ましあって、たくましくなっていく。

山中で彼らはドイツ人のキャンプを見つける。ロシア人わずか6人に対して、ドイツ人は遥かに多い。この予想以上の数に一同はうろたえる。兵士の判断で一人が来た道を戻って応援を呼びに行き、残りは偵察を続けることに。しかしこの戻っていった女子は沼地で足を取られ、溺死する。

そのことを知らない一行は、ドイツ人に「ここには一般市民がたくさんいる」ように見せかけようとする。軍人でない一般市民がいると思えば、ドイツ軍が場所を移動すると考えたからだ。きこりに成りすまし大声を張り上げる彼ら、計画は首尾よく終わり、ドイツ人は去っていく。だがしかし、ドイツ人は少し移動しただけで、まだ近くにいた。

場所を移動して、ロシア人一行は落ち着ける場所を見つける。兵士の私物を女子らが分担して運んでいたのだが、一人が忘れ物をする。彼女は引き返すが、偵察中のドイツ人に刺殺される。女子らは悲しみを恐怖に襲われ、兵士は忘れ物取りに行くよう命じた自分が殺したも同然だと心を痛める。
そこで兵士と一人の女子がドイツ人を待ち伏せする。女子が気を引いたすきに、兵士が彼らを殺害しようというのだ。ドイツ人2人が現れ、兵士が一人を殺害するも、もう一人が兵士と取っ組み合いになる。それを援護して女子(たしかジェーニャ)が敵兵を撲殺する。ジェーニャは人を殺したことにショックを受ける。兵士は「人間のおきてを破ったときはつらいものだ」というようなことを言って慰める。

その後ドイツ人との銃撃戦が始まる。初めての銃撃戦に戸惑いながらも、女子たちは兵士の教えに従って精一杯戦う。しかし恐怖に耐え切れなくなって飛び出した女子1人があえなく銃弾に倒れる。ここで兵士と女子2人になってしまう。

兵士は2人に下がっているよう命じ、一人でドイツ人と銃撃戦をする。怪我を負い追い詰められたそのとき、沼地で助けを呼びに行った女子の上着を発見する。ここれ彼は彼女の死を悟り、助けがこないことを理解する。心配になってやってきた女子2人と再会し、3人で祖国のために戦うことを決める。女子の一人が手榴弾で負傷し、その場所からドイツ人を放すためにジェーニャがひとりでドイツ人の気を引く。銃で応戦するも追い詰められ、殺害される。

兵士は負傷した女子を隠し、応戦しようとする。そのときその女子が銃をくれというので渡す。彼が彼女を隠して離れるとすぐ、銃声が響く。彼女は自らの命を絶ったのだ。彼女は死ぬ前に兵士に「自分には3歳になる息子がいる」と話していた。

彼は女子らの死を悲しみ、一人でドイツ人キャンプへ飛び込む。彼の傷の痛みは、悲しみから来る胸の痛みには勝らない。ドイツ人を人質に取ったところで、彼は意識を失う・・・。

現代。
キャンプをしに来た若者たちは、山中で石碑を取り付けている若者と老人を見つける。老人はあの兵士。若者は最後に死んだ女子の息子と思われる。

終わり

***

終盤は号泣。授業なのに涙が止まらなくて大変でした。戦争ものというジャンルでも、激戦地でも一般人の生活でもない特異な環境が切り取られているので、今までにない不思議な感覚を覚えました。事実この映画を他のどのソ連製の戦争映画と比較することは出来ないそうです。戦争賛歌でもなく、戦争の悲しさを押し出した作風でもないところが個人的には好きです。彼らがいかに生きて、死んでいったか、そして人間の心がどれだけ痛んだかをまっすぐに伝えている印象を持ちました。何度も言うけどロシア関係者は観てください。是非DVD買って帰りたい。

駆け足の五月

5月も気がつけば半分が過ぎていました。
あっという間に過ぎていく時間の早さに驚くと同時に、
今月の頭アルメニアに行ってきたのなんて遥か昔のようでもあったり。

ロシアに帰ってきてから数日後、9日の戦勝記念日には劇場広場で共産党の集会に参加して(笑)、戦勝公園でコンサート聴いて、花火見て、地下鉄が封鎖されてたのでバス停まで3キロくらい歩かされて・・・と移動しまくりの一日を過ごしました。そういえばコンサートではチェルシーとかアレクセイ・ヴァラビヨフとかクリスティーナなんとか(!?)などいっぱい有名人が拝めたvあんまりわかんなかったけどね。

3連休明けはバレエ「スパルタクス」、演劇「ドラゴン」、「どん底」って劇場行ってたら、
もうまた週末・・・

今週末は「博物館の夜」という博物館が無料で入れて、
しかも催し物目白押しな日だったので博物館へ。

友達が進めてた美術市「アート・モスクワ」に足を運ぶも、
このイベントは例外的に有料のままだった・・・笑
美術展だけど販売もしてて、飲み食い自由なら撮影までOK。
そんな自由な雰囲気と展示されてる現代アートの勢いが妙にあってて良かった。

その後は日本人の友達と待ち合わせてツァリツィノ(っていう屋敷博物館)でやってるコンサートへ。民謡からジャズっぽいのまで色々やってて盛り上がってた。屋敷博物館へは、夜11時にもかかわらず長蛇の列で入れず。やっぱり平日に来るべきか。

そこからまた移動してトレチャコフ美術館(旧館)へ。2時まで開いてるって情報だったのに1時前にいったら既に閉館してた。みんなあえなく地下鉄の駅へリターン。最終電車っぽい地下鉄でプロフサユーズナヤ駅まで行って、そこから寮まで徒歩で帰宅。歩いて1時間・・・。

そして今日。月曜日。

大学から程近い雀が丘を散歩しようとペーチャからお誘いが。
火曜日になるはずがいきなり今日になって夜10時からお散歩。
雀が丘博士の彼が一つ一つの建物の歴史を解説してくれるから楽しかった。
ゲルツェンの像見て大杉栄を思い出す岡野さんの思考は大正時代…笑

あったかくなってきてお散歩したい季節なんですが、
試験とレポートの嵐、と最近発覚した6月頭に向けて色々てんてこまいです。

文学のレポート2つある上に、
授業で扱った作家と作品に関する口頭試問があるんですが、

みんな(3人)がマヤコフスキイに関してやりますと言ったがために

他2人はそれに追加でブルガーコフ(授業でやった

岡野はなんと

ハルムスについて口頭試問されることが決定!!(先生の独断)


・・・・・・ちょっと待って。


授業で扱ってないじゃん ゜д゜


というわけで、
これから2週間でハルムスマニアになります。がんばる。

サナインでの珍事

       …愛、それは人生、それは大事なもの。…
       (ウラジーミル・マヤコフスキイの手紙より、拙訳おかの)

5月3日。朝起きてみるとエレヴァンは雨。
どんよりした朝であろうと、9時30分にはツアーのお迎えバスがやってくるので急いで支度。
なのにホテルの入り口で待っていてもバスはやってこない。

10時を回っておろおろしていたら、ミニバスが到着。
乗り込んでガイドさんと参加者と自己紹介。
本日のツアー参加者は、日本人一向3人にタタール人のおじさんの4人。
それにガイドのアンナさんと運転手の6人でツアースタート。

この日いってきたのは、エレヴァンからバスで3時間くらいの位置にあるサナイン。
アルメニア北部に位置するので、グルジアまであと少しのところ。

バスの中では宗教についておしゃべりするも、
仏教のことをロシア語で説明するのが難しすぎて苦戦。

日本の伝統建築は木造ですと言ったら、石の国アルメニアに住む人には考えられないといわれました。凝灰岩が一番ポピュラーな素材らしい。

人数の少ない和気藹々とした雰囲気なので、「止めてくれ!」も自由。
景色のいい所で写真撮影。山肌には地割れの跡。アルメニアは日本同様地震大国なんです。

5gory.jpg


そうやっておしゃべりしていたらうねうね山道に。
ちょっと気持ち悪かったけど、景色がきれいで退屈しなかった。

急な山道をどんどん登って、山の上にあるサナイン修道院へ。

5sanahin.jpg


青空が覗いて、ぽかぽかしてきたのでよかった。

サナイン修道院は、アルメニアの修道院では最古のもの。
サナインという言葉が、「一番古い」という意味を持っているらしい。

そんな修道院へ入ってすぐ、変な光景に気づく。

5mogily.jpg


教会の玄関口の廊下はこんな風に縦長の石が敷き詰められています。

アンナさんの説明によると、これは棺。
棺を踏んづけるなんて罰当たり・・・・!!!
と思いきや、これはいいことなんだって。

棺を踏むことで自分の罪が吸い取られて、いい力が逆にやってくるんだそう。
そして葬られているのは聖人だけではなく、普通の人も。
不思議な感覚を持ちながらも、しっかり棺に罪を吸い取ってもらいました。

サナインの山を降りたら、レストランで昼食。
メインの料理はコーカサス料理の代表格、串焼き。
串焼きってパサパサしてるイメージがあったけど、ジューシーでぺろっと平らげました。

5khorovetsh.jpg


レストランで沢山喋って、酔っ払って、笑って―と楽しい時間をすごしたら、
小雨が渋る中ツアー再開。

次なる目的地は、サナインの向かいにあるアフパト修道院。
この修道院は10年だけサナインより新しく、この2つの修道院はずっとライバルだったんだって。

5akhpat.jpg


教会はやはり石造りで、建築はサナインよりも古めかしい雰囲気を漂わせていていい。
太陽時計の文字盤が全部アルメニア文字で書いてあった。
まるで教会スラヴ語みたいですね!ってコメントしてみたら、
アルメニア人とタタール人に「しらない」って言われた。笑
ロシア語で話してるけど、彼らロシア民族じゃないんだった。
もともとロシア語が母語じゃない人とこうやって交流できるのも、ロシア語やってるメリットなのかな?

タタール人のおじさんはロシアのバシキール共和国生まれだったんだけど、
チャクチャクの話したら反応良かったv(←タタール=チャクチャクっていう短絡思考)
バシキール風は粒が大きくて、タタール風は小さいんだって!
チャクチャク情報はいつでもどこでも重要事項です。笑

二つの修道院を心行くまで堪能した後は、もう帰路。
帰りも自由ストップでふらっと止まって雪の残る山脈をパシャッ。

5gorycochegom.jpg


標高が少し高いので、結構冷え込む。エレヴァンとは10℃以上違う。
このあたりは水が良く湧き出ているというので、湧き水を飲みまたストップ。
運転手さんがいろいろ教えてくれるので退屈しない。

5istochnik.jpg


なれない湧き水を飲んでしまったわれわれは、翌日見事に腹痛に見舞われました
アルメニアの水道水は比較的まともだったので油断してた・・・。

こうして出発から10時間を越えるサナインツアーは終了。
ガイドのアンナさんにも運転手さんにもタタールのおじさんにもほんと良くしてもらって、
十二分に楽しめた長距離ツアーでした。みなさんありがとう。

そんな楽しいツアーは、レストランで酔っ払ったり、トルコ人やイタリア人とおしゃべりしたり、棺踏んづけたりと珍事続きだったんですが、

もっとも衝撃的だったのはアンナさんがメール読んだ後に言った一言:


「妹が盗まれたわ!」


日本人がぽかんとしている横で、タタールのおじさんは笑ってた。
「コーカサスの虜みたいだ!」って。笑

アンナさん曰く、
もし女の子の親が結婚を許さなかったら、男の子は女の子を力ずくで盗むらしい。

妹が盗まれても平気な顔をしてたのはそのせいか。ちなみに女の子が結婚を渋っても盗まれるそうです。なので妹に結婚したいのか確認するメールを送ってました。笑

旅って予想外なことの連続ですね。

・・・まあこんなにいろいろあるのは、正直はじめてですが。笑


エレヴァンをとびだす

エレヴァン市内を粗方見終わったので、今度は市外へ。
あらかじめ現地の旅行会社に日帰りツアーを予約しておいたので、
お迎えバスにのってしゅっぱーつ。

ark.jpg


雨の予報だったのに晴れてましたv
写真のアークからアララト山を見ることができるそうです。

バスで走ること40分くらい(?)
最初の目的地ガルニ神殿に到着。

khramgarni.jpg


4世紀にキリスト教を受容したアルメニアには、それ以前の異教信仰のものがほとんど残っていません。キリスト教受容後にほとんどが破壊されてしまったからです。

この神殿はその異教信仰の時代に建立された神殿で、アルメニア王の姉妹がひどく気に入ったため破壊を免れたそうです。王室の夏の別荘としても使われていました。

神殿の天井には、コーカサスで「命のシンボル」である葡萄と石榴が描かれています。この2つのシンボルは、キリスト教の教会や修道院でもみられます。

ガルニ神殿からの眺め。
okologarni.jpg


神殿のお土産売り場では日本語で話しかけられました。少ないとはいえ、ここを訪れる日本人はいるそうです。お菓子売り場でもコンニチハーって言われました。笑

アルメニアのお菓子(ケーキみたいなのはガナって名前)
arumeniansweets.jpg


ガルニ神殿を後にして、次に向かったのがゲガルド修道院。
険しい山の合間に立っている修道院は、中世に立てられたもの。
入り口ではアルメニアの楽器を演奏するおじさんたちがお出迎え。

gakki.jpg


門をくぐると石造りの修道院が。

geghard.jpg


アルメニアの教会は基本的に質素。
祈りに集中するためにイコンで飾るのをさけるのだとか。
同じ宗教なのにロシアの雰囲気とは全然ちがう。

geghard2.jpg


こんな感じで全5時間にわたるガルニ・ゲガルドへのツアーを終えてエレヴァンに帰りました。
戦火に焼かれ、歴史的なものが少ないといわれるエレヴァンとはまた違う雰囲気を味わえて面白かった。田舎道の風景がまるで絵みたいだったのが良い思い出。牛のせいでバスが一時停止したりする感覚がおもしろい。

市内では時計止まっちゃったので安い(そしてださい・・・)時計を購入。
他2人は目覚まし時計とバドミントンのラケットをお買い上げ。
アルメニアに来て訳の分からない買い物をする日本人3人・・・笑

chasy.jpg


ちなみにこのおもちゃ屋的なお店では世間話に花が咲き、
最後にお店のおにーさんの携帯で思い出に写真撮りました。
妙な日本人ズはしばらく携帯のなかにいすわるみたいです。


アルメニア滞在中いちばんおとなしかった日は、こうして過ぎていきましたとさ。

のんだくれる、もしくは3部作の完結編

ここに足が6本あります。

00nogi.jpg


Q.この中で酔っ払って千鳥足になっていたのは誰でしょう?

3日目の夜に出会った日本人の方の招待で、次の晩は中華レストラン。
進められるがままにビールを1本。地ビールのエレブニ。

01pivo.jpg


そのあとはワインが入ってもうほろ酔い。
料理もおいしくて食べる食べる。写真とるのも忘れておなかいっぱい食べました。
部長さんのおもしろ話をきいたり、現地で働いている社員さんの仕事話を聞いたり、
ごはんを囲んで経験ある人たちから色々教えていただいた。

レストランを出てからは、ちょっと移動して生演奏の聞けるバーへ。
ここでも飲む飲む。セックス・オン・ザ・ビーチ頼んだらアルメニア人びっくりしてた。なんで?

02seksnapljazhe.jpg


生演奏の歌を聴きつつみんなでおしゃべり。
大人を前に緊張してたからか、いつもより酔わなかった。
それでまた飲む飲む。

03dajkiri.jpg


「恋の片道切符」歌ってくれた。アルメニア人歌うますぎ。
この頃はけっこう酔ってたのかも。気分良くて一緒に口ずさんでた。

そんな感じでまた夜中近くまで遊んでしまいました。
招待してくださった日本人の方々に感謝。食べ物と興味深いお話、ごちそうさまでした。

帰り道は変な人に遭遇。いわゆる変態というやつです。
文字にすると大変なので敢え無く割愛。
てか夜中のエレヴァンをマドンナの「ハリウッド」熱唱しながらあるいてる日本人ズはどう考えても目立つわ。笑

そして次の日。

ツアーで出かけた先のレストランで、昼間から自家製ウォッカをごちそうされる。
なんでも桑の葉から出来ていて、ロシアでも高価なのでそうそうは飲まないものらしい。
そんなアルメニア・ウォッカのアルコール度数はガイドブックによると最低60度。
ウォッカはどれも40度だと思ってたのに・・・・・・orz

04stol.jpg

(コップに入ってるのがウォッカ)

案の定早速酔っ払って赤面。運転手以外顔赤くして、みんなで談笑。
デザートを前にガイドのアンナさんのすすめで酔いをさましに。
トルコ人のおじさんに間違えてイタリア語で話しかけて困惑された。笑
このおじさんはグルジアを旅行してアルメニアに来たばかりだそう。気の良いおじさんだった。
ちなみにイタリア語で話しかけたのはイタリア人がいっぱいいたから。
アルメニア人曰く、アルメニアにはイタリア人がよく来るらしい。
そして教会でであったイタリア人のおばさん曰く、イタリア人と日本人はどこにでもいるらしい。笑
このツアーのことはまた別の機会に。

ここでさっきの問題のこたえ。

酔っ払って千鳥足になっていたのは真ん中の2本。
茶色の靴のおかのさんです。

最終日にエレヴァン市内にあるコニャック工場「ノアNoy」の見学ツアーに参加。
そこで振舞われた年代ものワイン3種類にコニャック2種類。
朝ごはん抜きで行ったので、酔いがまわるまわる。

05vino1913.jpg


1913年につくられたワイン。高品質じゃないと、腐ってしまうんだって。
飲みながら「このときマヤコフスキイは20歳かー」と思うおかのさんはもはや重症。笑
現在はワインの製造を中止していて、保存のみだそうです。

06muzejvterritoriizavoda.jpg


工場が建っているところはもともとエレヴァン要塞があった場所で、
工場の一部に現存する城壁が使用されています。

博物館→ワイン保存庫の見学を終えたら、今度はコニャック。
10年ものと20年もののコニャックをチョコレートやドライフルーツとともに試飲。

07k20.jpg


コニャックは甘いものと一緒に飲むんだって。
アルメニアの技術で生産しているコニャックはこの工場のものだけ。
チャーチルもここのコニャックが好きで、スターリンは定期的にこのコニャックを送っていたんだとか。

そんなコニャックをのんでもうふっらふら。
お酒強くないのに果敢にも試飲ツアーに参加するって言うこの暴挙。
解説してくれたガイドさんも呆れ顔。笑

結局この後千鳥足になって工場の前で1時間へばっていたおかのでした。
ワイン・ビール・カクテル・ウォッカ、そしてコニャック。ちょっとのみすぎた。

この酔っ払いが工場直売店のおばさんに大ウケだったことについてはもはや詳しく書くまい。
値段もお手ごろなアルメニアン・コニャックをみなさんおためしあれ。

こんな普通じゃないアルメニア体験は、
人生の宝になりそうです。

ふつうじゃないエレヴァン

前回のふつうにエレヴァンはこれを書くための序章。笑
珍事がいっぱいなのも旅行の醍醐味?

エレヴァン3日目の夜を前に・・・

2日目の夕方。
ノアの箱舟が流れ着いた場所といわれるアララト山を拝もうとロープウェイ探し。
アララト山とはアルメニアのフジヤマです。笑
アルメニア人曰くアララトは大アララトと小アララトの2つがあるけど日本のフジヤマは1つだ、だそう。
そんなすばらしいアララトは、アルメニアのシンボル。
しかしながら今はトルコ領にあり、拝むことしか出来ません。

ロープウェイは見つかったもののもう長らく運転していないらしく、駅は廃墟同然。
がっくりして他の方法を探すも、雲が多いので見えないといわれる。

アララト山を見れる確証がないまま迎えた3日目。
昼間の観光の後、うさぎの銅像がみたい僕のリクエストでカスケードといわれる長い階段状の広場へ。

1kaskad.jpg


お目当てのうさぎさんを見る前に、好奇心からカスケードを登りきったところにある公園を散歩。
祝日だったので露天でにぎわう歩道の先にはなんと遊園地。
あきらかに子供向けっぽいのに入っていく日本人3人。笑 
最初は見てるだけ・・・だったのに観覧車を発見したとたん・・・乗ること決定。

2koltso.jpg


ちっちゃいわりに意外にこわい観覧車で3人わいわいしていたら、
町の景色が開けてきた。

きれーい!

んん?

3ararat.jpg



アララト山みえてるやーん!!!!


観覧車の中で興奮して写真とりまくる日本人ズ。
アララト山が見えてテンションがあがったのか、他の乗り物にもチャレンジ。
うさんくさいミッキーとも写真とって、アルメニアの子供たちのように遊園地を満喫しました。

おなかをすかした3人は、ここでコインを投げて晩御飯決め。
レストランか、スーパーで買うか。

―結果はレストラン―

あ!!

そういえばうさぎの銅像のこと忘れてた。笑
ということでカスケードまで戻って、うさぎさんのもとへ。

4zaets.jpg


触っちゃいけないうさぎをばっちり触って写真撮影。
でもこの銅像に何の意味があるのかはまったくもってなぞ。

カスケードを下って、初日に訪れたレストラン「カフカス」へ。
ここで近くの席にアジア人らしき一団(といっても4人)を発見。
とりあえず様子を見つつも、声をかけるわけでもなく3人で晩御飯。

おなかもいっぱいになった頃、日本語が聞こえる・・・
アジア人の一団は日本人だ!
そう思いつつ別に声をかけるわけでもなく出口へ、

・・・・・・・

引き返して声をかけたなら

・・・・・・・

なんとお酒の席に招待してくださりました

というわけで学生3人は社会人4人にデザートとワインをご馳走になって、
名刺までいただいて、極め付けに翌晩に夕食に招待していただきました。
ここで出会った方はごみ処理場で発生するメタンガスを京都議定書に沿って改善するプロジェクトに参加している方で、とにかくみんなバイタリティーにあふれていて若い。
(もちろん年じゃなくてね)
そしてとっても博識で文化人。オペラの話に始まり、世界各国のお話をしてくださいました。
世界を飛び回って働いてる人って、高官だけじゃないんだなあ。

就職活動を頑張ってるともだちを横目に、留学という逃げ道を選んだ僕にとっては
実際に働いている人と話をするのはたぶん初めて。
将来のこともう少し現実味を持って考えなくちゃいけないなあ・・・なんて思ったり。
留学も進学もその先に就職が待ってるには変わりないのに。

良い機会にめぐりあえた、ほんとに。
ある作家の表現を借りれば「前進、もしくは前進のように思われるもの」を感じたんだと思う。

こうして12時すぎまでレストランで飲んで、夜中のエレヴァンをとぼとぼ帰りました。
ただでさえ危ないといわれるコーカサスの国で夜中ほっつき歩いてたなんて先生にいったら、なんと言われるか。笑 これは秘密にしておこう。

そして約束どおり、

次の日もご馳走していただいたんですが、

それはまた次の日記で。

ふつうにエレヴァン

エレヴァンでは博物館を中心にいろいろ回りました。
長年夢見てた(言いすぎ)パラジャーノフ博物館にもいけて大満足。
ちょっと真面目に観光した様子を今回は紹介。笑

まずは共和国広場正面に位置する歴史博物館。10時からかと思いきや、まさかの11時オープンだったので本屋を物色。アルメニア文字の絵本買ったv読めないんだけどね。

11時なったので歴史博物館へ。イコンや絨毯に始まり、出土品やコーカサス戦争の展示品が沢山あって面白かった。アルメニアは301年に世界で始めてキリスト教を国教として受容した国。イコンの様式も東方正教や他の宗派とは違っておもしろい。プリミティビズムっぽいタッチなのが素朴。

続いてはマテナダラン。

matenadaran.jpg


マテナダランは古文書。アルメニア語で書かれた古い書物が数多く保管されています。アルメニア文字は405年にマシュトツの手によって作られて以来、今日に至るまで変化していません。しかしながら言葉そのものは変化したため、文字が同じでも古代アルメニア語と現代アルメニア語はちがうそうです。

今度は所変わって、メトロと乗り合いバスを乗り継いだところにあるアルメニア人虐殺博物館。

muzejgetsida.jpg


1回目はまさかの臨時休業であえなく退散だったんですが、あくる日に出直したら開いてました。ここにはトルコ人によるアルメニア人虐殺の過程が展示されていて、そのどれもが虐殺のむごさを語るものばかりです。これをみてトルコを責める気にはなれませんが、多くの人の命が失われたことを寄り近くで感じられて胸が痛くなりました。歴史的なアルメニア領の大部分がまだトルコにあるというのも、アルメニア人には納得がいかないようです。

あついあつい日の昼下がりに訪れたのは念願のパラジャーノフ博物館。

muzejparadzhanova.jpg


セルゲイ・パラジャーノフはグルジアのトビリシで生まれたアルメニア人映画監督で、ソ連時代はその逸脱した映画文法から不当な逮捕・投獄の辛酸をなめてきました。そんな彼が晩年に建てた家がこの博物館。映画のシーンの写真はもちろん、彼の描いたスケッチやコラージュが数多く展示されています。中でも気に入ったのがピロスマニの絵のコラージュとジョコンダの絵のコラージュ。既成のものをいったん分解してまた作り上げる構成力は圧巻。

最終日に訪れたのはハチャトゥリアン博物館。

muzejkhahcaturjana.jpg


エレヴァンにきて知ったんだけど、この人は『剣の舞』やバレエ『スパルタク』の作曲者。世界的に有名なアルメニア人の一人です。彼か弾いたというピアノや衣装などが保管されていて、日本公演時のポスターもありました。彼の教え子には日本人もいたそうです。いつだったかに音楽の授業で習った曲を作った人の博物館に来るなんて不思議な気分。そういえば最近ペテルブルクで『スパルタク』の新演出が初演されたそうですよ。(雑誌情報)

博物館の他にも、見るものいっぱい。

市街地のはずれにある教会は石造りで落ち着いた雰囲気。

soborsargis.jpg


キリスト教の国アルメニアの首都エレヴァンにもモスクがあります。市内唯一といわれるブルー・モスクは大通りに面したところにあります。

metech.jpg


カザンでもクレムリンのモスクに入ったけど、観光名所じゃないモスクに入るのは初めて。
折りよく、お祈りしているところが見れました。
このモスクはアルメニアとイスラムの友情のシンボルなのだとか。

・・・日も暮れた頃には、アルメニア音楽とダンスのコンサートを聴きにコンサート・ホールへ。

kzal.jpg


民族衣装もきれいだし、踊りも良かったんだけど、合間に入るポップスみたいな音楽が残念でした。それでもアルメニア人的にはブラボー。笑

こんな風によく歩き回ったので、沢山食べました。

armjanskoebljudo.jpg


食いしん坊アルメニア旅行といっても過言ではないです。
沢山歩いて・食べて・寝て。

・・・モスクワでもこれくらい頑張れるといいんですけどね。笑

9枚の写真が語るアルメニア1日目

怖いもので「ただいま」と帰ってくる場所がモスクワなのにはもう慣れてきました。笑 コーカサスの国アルメニアから無事に帰ってきて、今は明日の授業いきたくないよと現実逃避。一言で言えば夢の7日間でした。ほんとに。

そんな夢のアルメニア旅行1日目:

どきどきしながら飛行機で飛ぶこと3時間、アルメニアの首都エレヴァンに到着。
空港を出たときはまだ実感はそんなになかったなあ。

aerop.jpg


タクシーの運転手の下手なロシア語にとまどいつつ、なんとか市街へ。
空港から市街までは30分もかからないくらい近い。

予約していたホステルがきれいで感動。
荷物を置いて、長袖だと少し暑いエレヴァンの町をいざ散策。

proschad-respublika.jpg


雑誌で見るだけの世界だった共和国広場に自分が立ってる…
夢のアルメニアに自分が来てるんだーと嘆息。
写真は広場の中心にある博物館。
広場の周りにはホテル、郵便局、銀行、外務省などがずらりと並んでいます。
凝灰岩でつくられた建物がきれい。こんなとこに住みたい。

pr2.jpg


共和国広場から少し北に移動して、オペラ劇場へ。
劇場前に立っている2つの銅像に書いてあるアルメニア語をガイドブック片手に判読。
アルメニア人にロシア語で聞いたほうが断然早かった。笑

pamjatnik.jpg


散歩しておなかがすいたので、今度はレストラン探し。
ガイドブックを頼りに安くてアルメニア料理が食べられるというレストランへ入店。
内装がいかにもコーカサスっぽくて良い雰囲気。
メニューも豊富で、ウェイターの妙なアドバイスも聞きつつ選択。

アルメニアの飲み物だというから頼んだ緑色のジュースに日本人驚愕。
あんまりおいしくない。笑
トゥアルハンみたいな難しい名前の葉っぱでできてます。

sokarmjanskij.jpg


気を取り直して今度はスープ。
アルメニアの伝統的なスープと評判の(!?)スパスにチャレンジ!
が・・・
ヨーグルトみたいな味・・・。慣れてくるといけるけど、自分からは食べないかも。
後日聞いたところではアルメニア人はほんとに好きらしい。
食べきれずに残しちゃったスパスの図(↓)

spas.jpg


メインもアルメニア料理のオンパレード。
僕のチョイスは葡萄の葉で包んだロールキャベツみたいな肉料理ドルマ。
味付けは薄味で、サワークリームみたいなソースをつけて食べます。

dolma.jpg


他にも鶏肉のシャシュリク(串焼き)や羊の心臓とレバーを煮込んだトゥジヴニクを頼んだけど、全部おいしかった。こんなにいっぱいお肉食べたの久しぶりだったな。

shashlyk.jpg


こんな感じでおなかいっぱい食べて、最後にはウェイターの人にジュースの葉っぱの現物見せてもらって、いろんなとこ写真とってってかなりやりたい放題な日本人3人衆でした。

kartinka.jpg


レストランでは、ジュース・スープ・メインをガッツリ食べて一人2000ドラムちょっと。
日本円だとなんと約600円。ガイドブック信じてよかった。

ホテルに帰ったら日もすっかり暮れて10時過ぎでした。(9時に日が暮れる)
初日からどっぷりアルメニアンで楽しかったv


でもでもこれは


めちゃめちゃ濃かったアルメニア旅行のほんのはじまり。

[Valid RSS]