ボロージャのZUMZUMZUM

アウトローになってきた

しばらくはあれこれとやることが多くて忙しかった。
今月はまだまだやることいっぱいでのんびり出来そうにない。
それでも筆を起こすのは、現実逃避したい気持ちが半端ないから(笑)


この前エルミタージュ劇場で「ハルムス!チャルムス!シャルダム!もしくはピエロの学校」という劇を見た。もっとも愉快で軽率な人のための劇と銘打ってある、とっつきやすい作品だ。ちなみにこの長いタイトルを見て、即座にハルムスという名前に反応できる人がいれば、まがうことなくこちら側の人間です。


そう、これはダニイル・ハルムスの作品をモチーフに製作された劇。
彼は20世紀初頭の数十年を彩ったロシア・アヴァンギャルドの作家。


1905年生まれ。
1912年ごろには未来派の一グループ自我未来連合ができて、1917年に10月革命。1922年にフレーブニコフが病死して、30年にはマヤコフスキイが自殺と考えるとアヴァンギャルドの全盛期の頃はまだまだ若かった。詳しくは知らないのだが、42年にラーゲリで亡くなったらしい。


彼の作品は長らく黙殺され、1986年に最初の出版が始まった。しかしながら今日でもその作品の多くは知られておらず、同じアヴァンギャルドでもマヤコフスキイ、エセーニンのようなビッグ・ネームに比べると出版状況もすこぶる良くない。


ハルムス!チャルムス!シャルダム!
(エルミタージュ劇場HP)


劇はくだらなく面白い「表面的な笑い」の横軸に、テクストや演劇そのものに対するハルムスの思想を取り入れた内面的な「深さ」の縦軸を重ねたかのようなつくりになっている。自分が位置する座標にかかわらず―つまりハルムスを知らない人にも知っている人にも文学的な思考が好きな人にもただ笑いにやってきた人でも―楽しめる、バランスの取れた秀作である。
(数学に弱いので、この文章の説得力の責任は負いかねます。笑)


舞台で演じられているものは、たとい現実から切り取ったものであったとしても、舞台に持ち込んでしまった時点でもはや現実ではない。まったく非日常なものとなってわれわれの眼に映るのである。
―おそらくこういった内容のことが劇で語られたのだが、この思想はフォルマリズムの理論家シクロフスキーが用いた概念「異化(остранение)」に通ずる。アヴァンギャルドが(とりわけ未来派が)用いた、日常を非日常化してとらえ、その存在の価値を復活させるという手法はここでも生きている。これは劇監督の意図的なものなのであろう。いわゆる「活きた」アヴァンギャルドを観るのは初めてだったので、鳥肌が立つかと思った。


こういった既にある知識の範囲でも十分面白かったのだが、やはりハルムス自身が志した志向だったり手法だったりを知らなかったのは悔やまれた。少し知識を培ってからまた観るのもいいかもしれない。(そもそもこの劇を観たのは好きな俳優が出てたから。笑)


劇を観てから最初の月曜日、文学の先生にハルムスを授業で扱ってってお願いしたら断られた。マニアックであることと、学校の授業で扱う範囲を超えているからというのが主な理由。


これを読むと先生が意地悪そうに響くかもしれないが、彼女は岡野さんのマニアック度において振れ幅の大きい質問に丁寧に答えてくれる良い先生である。


そして今週、会うなり


「あなたのためにハルムスのこと調べてきたんだけどね。」


そう言って雑誌に載っていたハルムスの記事の切り抜きおよそ5ページ分をプレゼントしてくれた。未だ読んでないけど、今週末のまとまった時間にでも読むつもり。記事に載っていた写真をみてすぐピンときたのが、ハルムスの好きだった服装と似た衣装をピエロの一人が身にまとっていたこと。これを読んだらエルミタージュ劇場へ駆け込みたくなるかもしれない。


こんな調子で趣味のアヴァンギャルドにどっぷりつかって楽しいんですが、ロシア語の授業では「ロシアの伝統的でない文学」というたいへんたいへん恐ろしい教科書にいじめられております。笑


ポストモダンを中心にセレクトされた哲学的短編を読み、思考した上にその場でとっさにロシア語で話さなきゃいけないので頭がパニックです。今週の小説はなんとヴィクトル・エロフェーエフ。

うーん、コンセプチュアリズム☆

あーどんな授業になるんだろう(死)「一寸先は闇」です、文字通り。


こんな感じで暮らしていると日本の先生に報告したなら、いったい何ていうだろうと少々心配な僕です。(オーソドックスな留学は2月をもって閉店したようです


実はそれよりも


ロシア・トランジット・ビザ問題が浮上してあわてているんですが。

おしらせる

帰国の日が今日決まりましたー、いや決めましたー!

9月の8日に帰ります。

TOKYOでのお迎え待ってます。


そしてそして


コソボ独立に沸くセルビア共和国で7月19日〜8月29日の期間おべんきょうです。
セルビア語ちょっとはましにしてきまーす!

その前後の期間もおそらくセルビアかモンテネグロにいるので会いに来てね!


そんなOKANOは


授業中に読むポストモダンの小説に苦しめられつつも、
ハルムスの劇に魅せられ最近またロシア・アヴァンギャルド一直線です!

ってなわけでロシアにもみんな来てね!


 ***


おしらせおわり。



ウクライナから帰る日

旅も終わり。クリミア戦争の激戦地バラクラーヴァの夜風に吹かれながら、未だ頭の赤い山がそういってる気がしたクリミア5日目。手先ではお土産整理をしつつ、頭では一足早く旅行の反省をしている。

vecher.jpg


今回はきっと前より有意義だった。少なくとも、カザンよりもプスコフよりも。
受動的だった博物館での身の振り方も変わったし、旅行を無思慮にしないための鞭の打ち方も掴めてきたし、失敗したときにあんまりパニックにならなくなったし。

ただ見ればいいってもんじゃない。この旅行のことを誰かに話すとしたら、何を話すだろう?
どんなことをここで吸収したんだろう?そして自分に足りないのはなんだろう?
吸収するだけの旅行なら、スポンジにだってできるもんね。足りないところを浮き彫りにすることとそれを補う方法を考えることは吸収以上に大事なのかもしれない。オーストラリアで見たカンガルーがかわいかったことよりも、今自分を前進させてくれるのはヴォルゴグラードで見た静かなヴォルガ川に反射する戦争の記憶のホログラムだったりするから。


明日起きれるか少し心配なベッドの上、窓の外ではクリミア南端の夜がさらさらと更けていく。
絵葉書という平面に収まった思い出をかばんにしまって、8時起床を目指して目を閉じた。


Nakhimovu.jpg


ナヒーモフ総督、黒海艦隊博物館を回る余裕がある予定だったんですよ。計画では。
9時に起きたことにも驚いたし(バスは9時20分発!!)、
セヴァストーポリまで戻るのに1時間近くかかったのにも驚いた。
鉄道駅に着いたときには、もうシンフェローポリへ向かう時間。
とにかく急いで電車に乗って、電車の中で朝ごはん。
パンの名前をだいぶ覚えたのって進歩したことに入れてもいいよね。

シンフェローポリに着いたら1時間くらいひまが出来た。軽く昼食を取って、古本市をあさる。
マヤコフスキイの本を2冊買う。荷物が毎回重たいのは、ほんといつまでも改善されない。

knigi-kuplennye-v-simferopole.jpg


希少な本が買えて上機嫌なまま、空港へ向かうトロリーバスに乗り込む。
ここで計算が狂うとは、思いもしなかったよ。

10分ほど走った頃だったか、急に停車して運転手が外に出て行った。
なにやら天井で何かをしているらしいが、よく分からない。
「電線からはずれたんだ」という誰かの言葉でやっと、しばらくは動けないとわかる。

trollejbus.jpg


後ろからきたトロリーバスの運転手の助けで、とりあえず電線へつながる棒を車体に収める。
「後ろのに乗り換えてください」といわれたので、乗り換えて空港に着くまで外の景色にみとれる。

おかしい。

そう思ったときにはもう遅かった。シンフェローポリ駅にまた戻ってきた。
そして運悪く、このとき既にリコンファームは始まっていた。遅刻するかも。
うわーどうしようと涙目になりながら、逆方向のバス停へ走る。
なんとか空港行きのトロリーバスに飛び乗って、少し安心する。

空港についてからも駆け足。
カウンターではパニックになって英語とロシア語を交互にしゃべる。
受付のお兄さんとお姉さんに爆笑されながら今度は荷物検査へ・・・。
出国スタンプを押されたときにはもう搭乗時間ぎりぎりだった。ここで変な心の余裕が出来る。

samolet.jpg


モスクワに帰れるーと胸をなでおろした記念の一枚。
なんだか朝からどたばただったなあ。

空の旅は夕暮れ時。
ウクライナなのかロシアなのか分からないところを照らす太陽を脇に機内食をほおばる。
渡してから回収までの時間が15分ちょっと。意味もなくせかされる(笑)

obed-v-samolete.jpg


アエロフロートの近距離の機内食はたいていこんな感じ。
丸パン・黒パン・ハム・チーズ・野菜・バター・チョコケーキ・チョコレート・お茶かコーヒー。

クリミア旅行最後の日のどたばた。
しばらくは忘れられそうにないな、絶対。

遺跡ハイキング

クリミア旅行終盤はヤルタを脱出してセヴァストーポリへ!(地図参照)

karta.jpg


朝から良いお天気だったので、この機を逃すまいと遺跡公園ヘルソネスХерсонесへ。
この地には遥か紀元前5世紀からギリシャ人が入植を始め、
経済・政治・文化の中心として長らく重要な役割を担ってきました。

公園内に入って突き当たりにあるのが守護聖人アンドレイ像と聖ウラジーミル教会

andrej.jpg


【聖ウラジーミル教会と守護聖人アンドレイ像(Andrew The First-called)】

壮大な聖ウラジーミル教会の前には最初の徒弟であり、使徒であり、キリストの同志である守護聖人アンドレイ像が建てられた。教会の言い伝えによると、守護聖人アンドレイはタヴリーダ(※)の地に初めてキリスト教の教えの光をもたらしたという。ヘルソネスにおける使徒の宣教活動は成功を収め、神の恩恵によって人々に光を当て、彼らの心と精神に共感を見出した。考古学者がその時代におけるキリスト教会の痕跡を発見していないにもかかわらず、正教信仰の種は蒔かれ萌芽を迎えた。1世紀の後、ここ古代ヘルソネスからウラジーミル大公が正教の光をルーシへもたらした。

※タヴリーダ…1783年にロシア帝国がクリミア半島を併合した際に用いられた同半島の名称。

(絵葉書の解説より、拙訳および注釈は引用者)

volodimirskiy-cobor.jpg


【聖ウラジーミル教会】

ヘルソネス古代遺跡の上には壮大な聖ウラジーミル教会が聳えたっている。これは1891年にルーシ洗礼900年を記念して、十字架教会(おそらくここでウラジーミル大公が洗礼を受けた)が発掘された場所に建設された。ヴィザンチン様式の2階建て教会の設計は建築家であり教授でもあるD. I. グリムによってなされた。ウラジーミル教会の壮大さと美しさには思わずはっとさせるものがある。台座はガスプリンスキー石灰岩製の石版が施されている。前面とペディメント(※)は大理石の十字架、大きな金メッキの十字架を頂く丸屋根に飾られ、トタン瓦で屋根が葺かれている。内装もまた同じようにその豪華さが特徴的である。聖堂はアカデミー博士F.I. チャギンの指揮の下、有名なロシアの画家V. I. ネフ、I. A. マイコフ、A. I. コルズヒン、I. T. モロキンによって描かれた。1924年には教会が閉鎖された。第2次世界大戦中、建物は砲弾の被害を受け、それ以後老朽化が進み、荒廃していた。1992年にようやく教会での祈祷式が再開され、行われた修復作業が教会を復活させた。

※ペディメント…切妻屋根(山形の屋根)と水平面の間の3角形の部分。

(絵葉書の解説より、拙訳および注釈は引用者)


このきれいな教会を横切って進んでいくと海にでます。
ここには4世紀から5世紀頃の遺跡が多く保存されています。
ぽかぽか陽気に海風が気持ち良い。

khersones.jpg


↑ここには何が建ってたんだろう?

↓霧の鐘。1776年に鋳造され、クリミア戦争時にはパリに持っていかれたそうです。

khe2.jpg


開けた土地なので海の眺めがきれい。
ピクニックに来てる人もいっぱい。↓

khe3.jpg


なんの建物だったのかと思ったら、これは教会だったそうです。
4世紀終わりから10世紀まではちゃんと存在していたんだって!
1935年に発掘されました。↓

khe4.jpg


このほかにも博物館、古代の劇場跡などここに町があったのかーと感じさせるものがいっぱい。
広すぎて全部回ってる暇はなかったけど、古代ギリシャの雰囲気は十分に味わえたはず。

キリスト教に関してもっと予習しておくべきだったかなー。
最近「日本に帰ったらあれしなきゃこれしなきゃ」が多い、無学な岡野さんでした。

真面目に観光してみるも

古くから保養地と知られているクリミアには歴史の足跡が沢山ある。
ロシア文学のだったり、タタールのものだったり、ギリシャのものだったり
それはもうあらゆる時代の遺産が残されています。

欧米諸国と同じようにウクライナも国際婦人デーにわく3月8日、
比較的最近の足跡をたどってみた。

まず最初に行ったのはヤルタのお隣アループカにあるアループカ宮殿。
帝政時代の市政官のお屋敷で、1846年にイギリスの建築家が建てたことで有名。様式はイギリス式ですが、アラベスク模様でデザインされたドームや中国風にアレンジされた部屋などその当時の「粋」を凝縮したような宮殿です。ヤルタ会談の際にはチャーチル首相もここに宿泊したんだとか。

alupka.jpg

(宮殿前から見たクリミアの山々:宮殿は写真中央の岩を使って作られたらしい。その際労働者としてモスクワ近郊から多くの労働者が送られたのだとか。)


宮殿からは海を見渡すことができる。
天気がよければもっときれいなんだろうなあ。

more2.jpg



宮殿を出てからはバスに乗ってアイ・トドール岬へ。
ここにはかの有名なツバメの巣があります!
近くで見ると圧巻。高いところ怖いので足がくがくでしたw

lg2.jpg


バス停からこのお城までなんと1000段ちかい階段が・・・
それを上ったり降りたりしてはあはあ言いながらたどり着きます。
ツバメの巣の前でただずんでる時間より、階段の昇降のほうが時間をくいます。
でも岩の上に登ってツバメの巣を見下ろしたら階段のつらさなんてふっとんだ!
ガイドブックで見てたものが目の前にある感覚って毎度のことながら楽しい。

lg3.jpg



ツバメの巣を出て、お土産屋さんでクリミア茶を買った後は一路リヴァーディア宮殿へ。
ニコライ2世の別荘として建てられたこの宮殿は、有名なヤルタ会談が行われた場所でもあります。
そんな歴史ある宮殿に到着ーーー

livadiya.jpg



と思ったら臨時休業・・・!!!!
ショックだ、ショック・・・

へこんでいても仕方ないので、門から庭を覗いて、皇帝のための厨房見て、併設されてる教会見てとぼとぼバス停へ。ヤルタに帰って遅めのランチに行ってきました。


そのあとはというと近所をふらふらしながら、きれいな教会に入ってみたり、
ロープウェイ眺めてみたり、金ぴかのチェーホフの胸像発見したりして

疲れたなあ、とグミ150グラム買って家かえって食べていたら・・・

sobor-v-yalte.jpg




そのまんま朝まで寝入ってしまってました。


旅には休養も必要(笑)

イポーニェツ、タターリンになる

「今日は霧が深いねー。晴れるかしら?」

とみんながバスの中で口々に言っていたくらい、朝から濃霧で山の中が真っ白。

そんな1日は、長距離バスターミナルまでのマルシュルートカ(乗り合いバス)で降りそびれ(降りたい場所を運転手に言わないといけない)、ヤルタの山中迷子になることで幕を開けました。

それでもなんとかバスターミナルに戻るバスをつかまえ(文字通り)、
ヤルタから3時間くらい離れたバフチサライ行きのバスに飛び乗る。

日も高くなると霧も晴れ、青空と太陽が顔を出してくれて退屈な時間は外の景色を見てぼけーっとしてました。のどか。牛や馬やリスや羊やヤギや・・・と田舎振りが想像を絶してました。

6ogorod.jpg



ながーいながーいバスの旅の末、バフチサライ市に到着。
駅前についた頃には朝の霧を忘れるくらい陽光が差し込むぽかぽか陽気。

7peredvokzalom.jpg



駅前からは「古い町」行きマルシュルートカでハーンの宮殿へ。
が、またしてもここでうっかりミス!
ハーンの宮殿に気づかず終点までのりすごしちゃったー。(本日2回目)


やってしまったー

と自分の馬鹿さに呆れていたら、マルシュルートカの運転手が「送ってあげるよ」って!
見るからにタタールの血をひいていそうな気のいいお兄さんに乗せられて、やっとのことで目的地ハーンの宮殿へ。ただで乗せてくれた上に入り口の場所までちゃんと教えてくれた運転手にほんと感謝。

その昔クリミア・ハーン国の首都だったバフチサライにある宮殿に入城↓

8khanskij.jpg


敷地内には歴代ハーンのお墓もあります。(墓地には入れない)
すっごい変な形で統一されているあたりがおもしろい。

10kladbische.jpg


客間や夏用の部屋、ハーレムに始まり、モスクや対談用の部屋などひろいひろい。
プーシキンが詩「バフチサライの噴水」に詠んだことで有名な涙の噴水もあります。
ここで解説員のおばさんとおしゃべりして盛り上がっていた岡野さんは写真取り忘れましたけどねw

言い忘れてましたけど、タタール文化(とりわけ帽子)がお気に入りな僕は
去年行ったタタールスタン共和国以上にタタールの面影が残るここで大興奮でした。

そんな帽子姿↓

okano-po-tatarski.jpg


岡野さんは恥ずかしかったので帽子をかぶったままうろうろ、とかはしなかったんですが
ロシア人は恥ずかしげもなしに宮殿内はおろか駅前や街中でもかぶったまんま歩き回っていました。
たしかにここでかぶらなかったら一生かぶらないとはおもうけど(笑)


こんな風にタタールの歴史を堪能した後は腹ごしらえ。
中央アジア系なのかタタール系なのかわからないカフェでランチ!
バフチサライ風マンティ(中央アジアのシュウマイみたいなの)とラグマン(麺の入ったスープ)↓

manty.jpg


lagman.jpg



夕方のランチでおなかが満たされたので、
バスに乗って一路ヤルタにかえります。夕暮れの近いバフチサライとお別れ。

pole.jpg


古のクリミアを支配したハーンの町には
まだまだタタールは健在でした。

今回の旅行で一番楽しかった日かもしれないバフチサライ・ツアー日記を
おまけの1枚で終ります。

9khanskij.jpg


そういえば、タイトルの意味は「日本人、タタール人になる」です。
おばさんに帽子似合ってるって言われたから、調子に乗ってみた(笑)

クリミアでみつけた「ウクライナ」

今回行ったクリミア半島はウクライナの中でもいちばーんウクライナらしくないところ。

ウクライナ語の使用率はすこぶる低く、ロシア語が9割以上、クリミア・タタール語が残りといった言語環境。ロシア人曰く「エリツィンがウクライナにあげてしまった」クリミアはソ連崩壊後に独立をしようとするも、民族共存の形でウクライナ領クリミア自治共和国として落ち着いた。最近ではロシア語で教育をうけさせろーとデモがあったりと、ウクライナ語ができない人もけっこういるみたい。


そんなクリミアで「ウクライナ」探しをしてみた。


ウクライナ語に出会いたいとき一番手っ取り早いのが鉄道駅。
時刻表も出口入り口の表示もウクライナ語。

vokzal.jpg


シンフェローポリ駅の表示。電車への入り口みたいなことが書いてあるはず。
ちなみにセヴァストーポリ駅では時刻表が読めなかったので明日の便を教えてくれといったら、
「大丈夫、読めるわよ。にたようなもんだから。」といわれ無理やり読みました。
Щодняが「今日」なことだけは覚えたv

国営事業である鉄道の他、道路標識や全国チェーンのスーパーの看板などはだいたいウクライナ語。それに反して地元の企業などの看板や小さい本屋さんにはウクライナ語はほとんどなし。

一番びっくりしたのがテレビ!
ウクライナ語のチャンネルが圧倒的に少なく、中にはロシア語吹き替えの映画にウクライナ語の字幕つきという、ロシア語の強さを感じさせる放送の仕方もあった。

こんな環境なので、町をふらふらしていたら自分がウクライナにいることを忘れてしまいます。
最初のうちこそ、ウクライナ通貨フリヴニャを見れば「ああそうだ、ここはウクライナだった」と思い出しておったんですが、田舎に行けば行くほどみんながフリヴニャをルーブル(ロシアの通貨)と呼ぶので気分はロシア国内。

ウクライナはどこにあるんだー?と思いつつヤルタの町で博物館を探していたら、
お目当ての博物館の上階に面白い博物館をみつけた。

domLesiUkrainki.jpg


この建物、1階はヤルタの歴史・文化博物館になっていて、当時ここを訪れた文化人たちゆかりの品が沢山保存されています。ラフマニノフが弾いたペテルブルク製のピアノとか、アンドレーエフの当時の版の本とか。

2階はというとウクライナの女流詩人レーシャ・ウクラインカの博物館。
実際に彼女はここに住んでいたそうです。

LesyaUkrainka.jpg


ウクライナ文学といえばエフトゥシェンコ?とゴーゴリのパパしか知らない岡野さん。
ドアを開けるが先にウクライナ語でなんか話しかけられ困惑。初めてちゃんとウクライナ語聞いた!
とはいえみんなロシア語ぺらぺらなので案内はロシア語でしてもらいました。
レ−シャはウクライナ語で作品を書いたそうで、今日でも広く読まれているらしい。
そんな彼女は結核の療養にヤルタへ来て、ヤルタでなくなったそうです。
作家としての仕事の他に、エジプトに造詣の深かった彼女は翻訳業もこなしていたんだとか。
6ヶ国語(たしか)知っていた彼女は自らが療養の地に選んだクリミアの文化にも興味を持ち、
とりわけハーン(汗)の宮殿のあったバフチサライを気に入っていたんだって。
そういうわけで学芸員さんに「絶対ハーンの宮殿いきなさい」と勧められましたw

博物館にはいるまで何一つ知らなかった詩人についてかなり断片的に聞かされた上、
展示品の本とか全部ウクライナ語なのですごいのかどうかはわかんなかった(笑)

それでも何かの縁かなと思ったので、町一番の本屋さんでレーシャ・ウクラインカの本を購入。
ロシア語訳を探したんだけどウクライナ語しかないって・・・。
ウクライナ語できる人だれか岡野に解説をくださいw

ウクライナ語が書いてあったので無理やりつなげますが
クリミアの名産といえばなんといってもクリミア・ワイン!

Krymskoevino.jpg


ラベルがウクライナ語で書いてあったので迷ってたら妙な英語で話しかけてきたおっさん一押しワイン、「マガラチ」を買いました。ロシアに帰って早速韓国人の友達と飲んだんですが香りも味も良くて大満足。モルドヴァのクリコヴォ・ワインよりクリミア・ワインのほうが気に入った☆値段もびっくりするくらい安いので、クリミアに足を運んだ際には是非!!



・・・とクリミアの思い出に浸る岡野さんがいるモスクワは現在15時半。



普段なら絶対家にいない、こんな早い時間になぜ家にいるか?






お酒弱いのにワイン→ウォッカとはしゃぎすぎたため、本日二日酔いで欠席したからですよ笑

クリミア半島に春がやってきた

春の日差しも、春風もまだ訪れていないモスクワに帰ってきて、
「現実ってこんなもんか」と感じている岡野です こんにちは

6日間だけですが、ロシアの隣国ウクライナを堪能してきました!

チェーホフの別荘行ったし、ウクライナ文学に触れたし、
タタールの遺産をみたし、ギリシャの面影も見て触ったし

クリミアでしたかったことぜーんぶできた!!

・・・いやうそ。笑
黒海艦隊博物館行きそびれたのが心残りw

それはさておき

3月にクリミアなんて未だ寒いかなーと不安だったんですが
あちらにはもう春がやってきていました!!気温が10度以上あるの!!

まずは気温0度のモスクワから気温10度のシンフェローポリまでひとっとび。
ちなみに出国審査まで岡野さんはウクライナが外国であることを忘れていました(笑)
そしていざフライト。目的地までは1時間45分。
こんな短時間でも機内食がっつりでます。

シンフェローポリ到着。
ヤルタまで世界一長いトロリーバスで山脈越え。
きっちり3時間かかりました。飛行機よりも長い。

そしてとうとうヤルタ到着。
夜の海岸通をふらふらしてみたけど、カジノだらけで危険な香りw
アパート借りて宿泊。

翌日もヤルタ!!
朝からチェーホフの家博物館へ。
生誕の地タガローグにはじまり、モスクワ、メーリハヴァ、サハリン、ヤルタの展示がずらり。チェーホフが実際に座っていた書斎机も展示されてる。個人的に興味深かったのは劇の広告用ポスター。モスクワ芸術座とチェーホフのつながりを感じさせるものが多かった。彼の奥さんは女優で、チェーホフがヤルタで結核の療養をしているときもモスクワで仕事を続けていたらしい。

博物館の横にはチェーホフの別荘。
彼のプランに沿って立てられた別荘と庭園も公開されています。
チェーホフは自分の庭が大好きで、世界一文化的な庭と自賛したり
自分がヤルタを離れるときは庭師にすべて詳細に渡って指示を出していくほどだったそう。
そんな庭園には桜も植えられています。

1sakura.jpg


別荘は3階建てなんですが、現在生誕記念が近いため改装中で
公開は1階のみ・・・チェーホフの部屋は2階にあるのに(苦笑)
1階には「プーシキンの間」と呼ばれる食堂と奥さんの部屋、お客さん用の宿泊部屋、親戚用の客間が。この別荘には作家のトルストイ、ゴーリキー、ブーニン、歌手のシャリャーピン、作曲家ラフマニノフなどなどとにかく沢山の文化人が訪れたそうです。(補足:当時ヤルタはロシア領だった)

トルストイも泊まった部屋↓
2gostinnaya.jpg


さてチェーホフとヤルタといえば、
小説「犬を連れた奥さん」ですよ。

小説の冒頭に出てきた海岸通のカフェは今はもうないけれど、
当時は実際にあったそうです。カフェ「フランス」って名前。

4haberezhnaya.jpg


海岸通なのに海が見えない・・・笑
1960年代に通りの下に道を作ってしまう前までは通りのすぐ下が海だったそうです。
通りから見える黒海の眺め↓

3more.jpg


通りを歩いていると、小説の主人公グーロフと犬を連れた奥さんに出会えます。

5gurov.jpg


海岸通を歩いている人たちも猫たちも
ぽかぽかと気持ちいい日差しを浴びながらゆっくりとした時間を楽しんでいるみたい。
この雰囲気は19世紀から変わらないんだろうなあ。

クリミア旅行第1の目的は
お天気にも恵まれて十二分に達成できたんじゃないかなあ。(つづく)

泣きそうだ

今の気持ちを表すにはこの一言しかない。

今日は授業中打ちのめされたので、
家に帰るまでのトラムの中では「真面目になる」と銘打って更新する予定だったんですが

家に帰って日本にいる先生からのメールを見て急遽変更。

日本に帰ってからマヤコフスキイのこと決めればいいや

とか

今は詩を読んで楽しんでおこー

とか

楽観的に考えていたのに

帰ってきたら即刻ゼミの発表が待っており
しかも
年末には発表会みたいなとこで発表するかもしれない(詳細未定)
ということが発覚し

もう泣きそう。

何にもやってないなんていえないよー(死)

まじでまじで卒論のおべんきょうしなきゃならんみたいです。
日本語の資料何にも持ってきてないよーーー嗚呼ロシア語・・・。
帰っても未だ3年生だし♪的なあまーい考えだった岡野さんにばちがあたった。

今日はただでさえ授業で振るわずへこんでいたのに
こんなドカーンと追撃されるとは思ってなかった。

でもまあ何かしないことには面目を保てないので(←恐るべし利己主義)
しなきゃいけないことを絶望の中考えてみた・・・

1.「これについて」の中の主客の流動に関して書いたレポートの改作および露訳→見てもらう
2.「人間」を読む→「これについて」とのつながりをまとめる
3.「これについて」もう1回読む→ここでいったん総括
ここまで3月末にできれば自分天才(笑)

4.「声を限りに」「背骨のフルート」「僕は愛する」読んで思案する
5.「いかに詩を作るか」を読んで、このへんで2度目の総括、なんか書いて露訳
これが4月。

6.絶筆の作品および「タチヤーナ・ヤーブレコワへの手紙」「セルゲイ・エセーニンへ」他読む
7.「ズボンをはいた雲」読んで、去年の発表で失敗したとこを考え直す、3回目の総括、書く
これが5月。

あとは・・・6月はどたばたしそうなのでもう知らないw

こんな亀みたいな計画だけど大丈夫なのか?不安・・・。
いざとなったらマヤコフスキイ博物館に駆け込もう。

はー ロシア語もっとしなきゃだしマヤコフスキイのことまとめなきゃだし
半年目にして窮地だ、窮地。
旅行も少し減らさないとなー。(ただでさえ旅行後は遅れを取り戻すのに忙しい)

ふう。

思いつくままにだーっと書きなぐりました。
ピンチってことが分かっていただければ幸いです。

そしてピンチなくせに

明後日からウクライナはクリミア半島へいってきます!!

シンフェローポリへ飛んで
ヤルタと近郊まわって
バフチサライ行って
セヴァストーポリまで進んで
ヘルソネスみて

というむちゃくちゃ忙しいプランですv
そしてこの追い込まれた状況に鑑みて、
宿題とマヤコフスキイの詩を持ち物に加える法案が強行採決されました。
ウクライナで自分と闘ってきます。


9月に大泣きしないよう
久しぶりに「留学生」から「学生」に戻ろうと誓った、

雪のモスクワ(+2℃)より岡野さんのパニック中継でした。

[Valid RSS]