ボロージャのZUMZUMZUM

北コーカサス旅行の余波

コーカサスへ行ったことは自分にとって大きなこと。
長年の(といってもここ2年?)の夢のひとつを果たせてよかったし、
何よりも危険な事件に巻き込まれることなく旅行が終ったのが嬉しい。



旅行から帰った次の日、日本でお世話になったロシア人の先生に会った。
なつかしー!と思って先生にみんなで飛びついて、再会の喜びを・・・



と思っていたら開口一番



「カナメ、コーカサスにいたんだってな!もう二度と行かなくていいよ!!!」



とお叱りを受けw



「でも何事もなく、大丈夫だった。」といったなら



「そういう問題じゃないんだよ!!あっちでコーカサスの民族に誘拐されたらどうするんだ!!!あっちではそういうビジネスがあるんだぞ!!!!」



とさらに説教されてしまいました。



「人はみんないい人だったよ」と言いかけたなら



「カナメ、君は髪も黒いし、顔もなんとなくコーカサスの人に似てるから良かったんだよ!!あははw」



そんなところで得してたのか、自分(笑)
いっきなり怒られたけど、お土産あげたら先生喜んでたし。
よかった、のかな?



そんな説教を聞き流しつつw
友達にはピャチゴルスク陶磁器のお土産をプレゼント。
コーカサスは陶磁器産業が盛ん。



その陶磁器の花瓶を何故か早速筆箱代わりに使った友達
担任の先生に「これはチェチェンのお土産です」といって先生をたいそう驚かせる。後でその先生とすれ違った岡野さんは先生にいつになくにやにやされる。変な誤解を生んでいるんですけど・・・死



そんなロシア人の先生方の反応をよそに、
買ってきた絵葉書を見返しつつ誰にあげるか考えていたら
衝撃の絵葉書を発見した。





※画質がすこぶる悪いですので注意してご覧ください。



pika.jpg






見えた?





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ヨーロッパ一高い山、エリブースにピカチュウピカチュウピカチュウ!!!



ピカチュウがエリブースで楽しそうにスキーしてることも驚きながら、
観光地の絵葉書セットにこの写真が採用されたことも最高に驚き。
(ちなみにこのコスプレをしているのはロシア人かヨーロッパ人かとおもわれる)





エリブースの自然を背景に
南ロシアの観光産業にいちやくかっている(!?)ピカチュウさんでした。

ミンヴォーディでのトラブル

ミンヴォーディことミネラーリニエ・ヴォーディ市へ電車で到着した3日目、
首尾よく進んでいたコーカサス旅行に邪魔が入った。

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(ミネラーリニエ・ヴォーディ駅)



駅を出て、帰りのフライトまでの時間をどうつぶそうか考えていたら



なんと駅前で

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警察の哨所に連行されちゃったではないか。
(写真は哨所)





外国人登録に厳しいロシア南部では、警察によるパスポートチェックが頻繁に行われています。
しかし問題なんて岡野さんにはないので関係ないこと。


いつものことだ、と余裕。


が、運が悪かった。よりにもよって岡野さんを連行したこの警官がおばかさんだったんです。



そんな警官2人のした質問:


・ミネラーリニエ・ヴォーディへ来た理由

→旅行です、といっても信じてくれない


・スタヴローポリ地方における登録はあるか

→ある。けどミンヴォーディではなくピャチゴルスクで登録したから警察のパソコンじゃ確認できず。さらに疑われる。


・ビザに勉強とかいであるけどどこで勉強しているのか。

→モスクワ大学。


・何学部なんだ?

→今は研修みたいなもんだからロシア語しかしてない。


・将来はロシアで働くのか?

→働かない。日本で働く予定。


・もう一度聞くけど、ここへ来た目的は?

旅行だってば


・一人できたのか?

→そうだよ。誰も来たがらないからね。


・ミンヴォーディにいたのか?

→ピャチゴルスクにいました。登録の紙に住所書いてあるでしょ?読んでないの?(この辺から岡野さんがいらいらし始める。)


・ピャチゴルスクで何を見たんだ?

→レールモントフ博物館。マシューク山。


・なんでレールモントフなんだ?

→「僕の専門は文学で、興味があるから!そんなこと果たして関係ありますか?」


・麻薬はやってないよな?

→やってないよ。かばんの中でも探してみれば?(あごでかばんを指す。警官、思わずひく)


・ポケットには何があるんだ?出してみろ。

→航空券、お金、学生証、エイズの証明書、保険の証明書。


・(触りながら)おい、ズボンのポケットになにかあるじゃないか、なんだそれ?

お か ね!!そこまで確認したいならみせよーか?


・(学生証を手に取ろうとして)おっと、何か落ちたぞ。

→ちょっと人の定期落とさないでよ!アクラートナ!!!!(気をつけてよね!の意。若干きれ気味でw)


(岡野さんの声が大きくなりつつあるのに若干びびりつつ)お、お前いつロシアにきたんだ?

→1月。パスポートに書いてあるでしょ?


・(パスポートをまた見ながら)このビザ期限切れじゃないか!

さっきそこに有効なビザおいただろーが!!!!(ここでとうとう机をたたくw)





・・・こんなあほくさいやり取りの後警官2人は言った、


「そうか。問題はないな。うん大丈夫。ごめんな、長く引き止めて。




(皮肉な調子で)「いえいえ、問題がなくてよかったです。ほんとうありがとうございました()」




「そんな怒るなよー。お茶かコーヒーでもだそうか?」





「ぜんっぜんいらない!さよなら!!!!」
(ダッシュで市場へ逃げる)




数ある質問の中で、意味のあるものがいくつあっただろう?

警察官の暇つぶしに付き合わされた岡野さんは、ついてなかった。





そういえば警官に聞かれて絶句した質問がありました:






「お前男の子だろ?何でそんなにきれいなんだ?」





・・・Я крыл нечем.(言葉に窮しました。)
辞書で見たきりのイディオムは、こういうときに使えます(死)

山へ登ろう

ロシア人にコーカサス地方へ行くといえば、




「あそこには山があるよ!きれいな山が!」




という一様で非常につまらない答えが返ってきます。




なぜみんなこぞって山について話すのかといえば、ヨーロッパ・ロシア(モスクワやペテルブルク)には高い山がなく、そこで暮らしているロシア人は「山はウラルかコーカサスにあるもの」的考えを持っているから。



山に対して一種の「異郷」のイメージを持っている彼らにとって、コーカサスの山は詩や小説を通して知る世界であり、最近はニュースを通して知る危ない場所でしかない。コーカサスへ行くといったときの彼らの反応はさまざまで、「山がきれいだからオススメ」っていう肯定的な答えや、「あらそこには山があるわよー。でも慎重にね。」っていう少し憂慮気味の答えが半分半分くらいだった。ちなみに今回の旅行は日本でお世話になったロシア人の先生の度肝を抜いたw



そんな異郷をみれることにわくわくしながら行った岡野さんは到着して驚いた

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日本でこんな景色みたことあるぞ!!!!



そんなデジャブに囚われつつも、ピャチゴルスク市で一番高い山マシュークのふもとをうろうろ。ちなみに天気は曇り、気温はマイナス4℃だったので山歩きには非常に向いていなかった。そういえばガイドブックにも書いてあった、




「山の一人歩きは非常に危険です。」





しかーし、そんな山歩きを楽しんでいるといいこともある。

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カフミンヴォーディ(毎回言うけど勝手に略してるわけじゃあない)のシンボルである鷲の彫刻に出会ったり、

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サナトリウムを一望できたり、

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コーカサスの山にいるっていう実感があってたのしい。
先生が「外国人はモスクワとペテルブルクをロシアだと思っている」といっていた意味が少し分かった気がする。ロシアは広い。



しばらくすると歩くのに疲れたので、今度はロープウェイでマシュークの山頂へ。
ロープウェイからの眺めをカメラに収めるぞ!!と意気込んでいたのですが、
定員20人のロープウェイにきっちり20人乗ったのでぎゅうぎゅう(死)



窮屈な場所でシャッターをきるも写ったのはこれ↓

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もうあきらめましたw



数分で到着した山頂からの眺めは最高。写真じゃうまくパノラマ感が伝わらないのが残念です。

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山の上から一人「こっちがミンヴォーディでしょ、じゃああっちがチェチェン(実はお隣)かなー?」とかありもしない地理感覚を使って考えてみるも、結局遠すぎて何にもわからずw
寒さは標高1000メートル近いので半端じゃなかったけど、眺めがきれいで良かった。



山から下りた後はあったかい鉱水片手に一休み。

水飲んだし

レールモントフについて見て聞いたし

山登ったし


・・・コーカサスでしなきゃいけないことは、もう全部したんだっけ?












あ!!!








日も暮れる頃にホテル決めてないことに気づいた、
まぬけな日本人がここにいました。

ピャチゴルスクに散る

ロシアの詩人といえばプーシキン、それに続くのがレールモントフ。
後世に彼ら以上の才能を持った詩人はロシアにはいないといわれる。




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M・Yu・レールモントフ



1825年、10歳の詩人はリウマチを患ってピャチゴルスクへ療養に来た。
これが彼にとって初めてのコーカサス。



1837年、プーシキンの死に際して書いた、社交界を批判した詩『詩人の死』が手書きの原稿で出回り、皇帝の目に触れて激戦地コーカサスへ「転任」となる。



1840年、決闘をしたかどで再びコーカサスへ流されることになる。



1841年7月15日(新暦では27日)友人マルトゥイノフと決闘して死ぬ。銃弾が当たってほぼ即死だった。





27年に少し足りない、短く激動に満ちた人生はこうして幕を閉じた。
有名な小説『現代の英雄』は1840年の作品。ここにもピャチゴルスクが出てくる。




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レールモントフが暮らした家



市内には関連する博物館が4つ(レールモントフ史跡公園)、決闘の場所、小説の舞台などゆかりのある場所を数多く見ることができる。長らく彼の決闘の理由を知らなかったのだけど、この地でその理由を知ることができた。決闘を挑んだのは友人だったそうだ。





そんな決闘の理由は「レールモントフに婦人たちの前で笑いものにされたから」。





しかしながら、笑いものにされて決闘を挑んだマルトゥイノフはレールモントフが自分をからかってくれるだろうと思ってわざとチェルケス人の民族衣装を着てきたといわれている。彼らは良い友人であり、関係も極めて良好だったそうだ。友人の悪意のない嘲笑が、「それ以上」のものになってしまったのだろう。




決闘でレールモントフの心臓へ銃弾を打ち込んだ彼は、半年間刑務所へ入り、その後キエフの修道院での懺悔を義務付けられたらしい。彼は60歳を越える高齢まで生きたそうだ。




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レールモントフ決闘の場所





決闘の際詩人は銃を友人へ向けることなく、銃弾を空へ放った。


2人の間の距離はわずか30歩。







銃を天へ向ける詩人を見た友人は何を思ったのか


銃を自分へ向ける友人を見て詩人は何を思ったのか







レールモントフは最後までマルトゥイノフの友人であり続けた


ペチョーリン(現代の英雄の主人公)とはちがって。

水がたのしいコーカサス

何よりもまず、無事です。



後ろから殴られたりすることも、怖い顔のおじさんに襲われることもなかったです。
安全じゃない瞬間は何度もありましたが、これはモスクワと同じくらい。



そんな北コーカサス。



おさらいします。
今回行ったのはロシア連邦南部連邦管区スタヴローポリ地方の保養地ミネラーリニエ・ヴォーディ(いわゆるミネラル・ウォーター)と作家レールモントフゆかりの地ピャチゴルスク。この一帯は鉱泉が多いため、「コーカサスの鉱泉」という意味のカフカースキエ・ミネラーリニエ・ヴォーディ、略してカフミンヴォーディКавминводыと呼ばれています。(ほんとだよ。)




そんなカフミンヴォーディの保養地としての歴史の始まりは19世紀にコーカサスで50年以上続いた戦争。この当時激戦地であったチェチェン・ダゲスタンに程近いピャチゴルスクに軍事キャンプがおかれていたそうです。この頃、傷を負った動物が水で傷を癒しているのが目撃され、それを応用して鉱水が兵士の怪我の治療(主に抗菌)に使用されるようになったのが保養地としての発展のきっかけだといわれています。




そんなカフミンヴォーディには水の種類が沢山あります。モスクワを含め各地で流通している飲料水アルヒスАрхызをはじめ、この地でしか飲めない水が何十種類もあるんです。またこの地では鉱水が医療に取り入れられ、独自の保養地学が確立されています。鉱水は温度・時間・量を調節することで効果が随分変わってくるんだそうです。今回はおもな時間をすごしたピャチゴルスクの鉱泉事情を紹介。




ピャチゴルスクのサナトリウム団地の中心にあるツヴェトニク公園に、市内に9個ある主要鉱泉のうち半分以上が集中しています。なぜならこの公園は高さ993メートルを数えるマシューク山のふもとにあるから。飲料水ギャラリーという不思議な施設があります。



こんな看板↓
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このなぞのギャラリーで何ができるかって言うと、そこに湧き出てるお水を無料で飲めちゃうんです。ちなみにこのギャラリーにある鉱泉は3種類。1階にはピャチゴルスク鉱泉17番(20℃と35℃)、2階には鉱泉2番(冷たい)と赤軍鉱泉(28℃)。保養地で療養している方々はここへやってきてお水を楽しんだり、大きなボトルへ詰めてもって帰ったりします。



ただ水を飲むだけなんて楽しくないと思うかもしれませんが、鉱泉の番をしているおばさんと世間話したり周りに植えてある植物を眺めたりしていると、ミネラル臭い癖のある水も1杯2杯と進んで長居してしまいます。そして水を味気ないコップではなく、鉱水を飲むための特別なコップで飲めば気分はもうロシア人w








そのすばらしいコップを口では説明できないのでご覧ください↓

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取っ手のようなところを口にくわえて、ストローのようにして水を飲みます。鉱水の中には酸度が強く、歯に悪いものもあるため、歯に触れずのどに直接届く工夫を凝らしたコップが使われるようになったそうです。コップはほとんどがこの地名産の陶磁器からできていて、デザインも秀逸。岡野さんももちろん買って使いましたv飲みすぎでお腹たぷたぷ。



他にも公園内にレールモントフ鉱泉2番、鉱泉14番と16番がありますが、技術面の都合により閉鎖されていました。残念。公園の外には炭酸水の鉱泉7番のホット(つまりあったかい炭酸)が飲める小屋があり、そこへもペットボトルを持ったロシア人が足を運んでいました。言及し忘れていましたが、ピャチゴルスクの鉱水は主に胃と十二指腸に良い効果をもたらすそうで、十二指腸がひどく弱っている場合は冷たい鉱水を飲むよう指示されるそうです。お腹はあっためりゃいいってもんではないらしい。




市内各所でこういった健康的な水が湧き出ているピャチゴルスクのスーパーには、お隣エッセントゥキ市とキスラヴォツク市の鉱水が並んでいます。500ミリリットルでもちゃんとビンに入った本格的なものが多く、鉱泉どころに来たなというのをここでも感じさせられました。



市販されている他市の鉱水↓

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(鉱水ナルザン、キスラヴォツク市:胃、十二指腸、慢性大腸炎、すい臓炎に良く効く)


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(鉱水エッセントゥキ17番、エッセントゥキ市:胃、十二指腸に良く、新陳代謝を活発にする)




こんな風に水について書くだけで日記が軽い図鑑になるほど種類が豊富です。水の味について言葉少な目なのは、おいしいとかまずいとかはあんまりないからですw水ですからね。ただ、鉱泉から直に汲んで飲む水はにおいが(特に硫黄臭)ひどくて、飲みながら普段飲んでいるミネラル・ウォーターって栄養ないのかなーなんてちょっと悲しくなりました(笑)






さてこんなに長々と水について書きましたが、岡野さんは別に水のためにカフミンヴォーディに来たわけではありません。





作家レールモントフですよ、レールモントフ!!





本来の目的であるレールモントフをそっちのけで、お水ばっかり飲んでいたの図↓

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というわけなので







レールモントフについて見て聞いてしてきたことは、こんなに長くかけません。

マヤコフスキイ好き、移住を決める

今日はバレンタイン、ですがそんな空気も読まずにモスクワ・エルミタージュ劇場で「愛の本質について」というマヤコフスキイに関するを観てきましたvもちろん一人で。(こういうの一緒に行ってくれる人いないんだよね)



マヤコフスキイの人生について、おそらく愛人リーリャとの関係に触れた筋だろうなと予想していたのが甘かった・・・。最初のシーンでマヤコフスキイの自殺後の調書が読み上げられて、まさかの「マヤコフスキイの不在」からのスタート。マヤコフスキイが愛に苦しんで、という従来の(そして予想に難くない)イメージを敢えて抑制することで、お涙頂戴のロマンチカな観を払拭してたのが意外だった。発想は気に入ったけど、リーリャ役の人がイメージに合わなくて引っ掛かった。



お世辞でもスーペル!(すごい!)とは言えない前半に瞼も重くなって若干後悔。あと調書のせりふが長すぎて退屈。ここで何人かロシア人帰っちゃったし。でもその後は圧巻としか言いようのない展開・構成で度肝を抜かれた。重苦しい取調べのシーンの後、マヤコフスキイらしき人が6人くらい登場。まったく関係のない動作をしながら、長詩「背骨のフルート」を交代で朗読。ちなみにマイナーなのでロシア人は詩だってことに気づかず・・・orz観客がぽかんとするのをよそに、俳優たちは詩にあわせてダンス。岡野さん口あいたまま忘我。ロシア人はマヤコフスキイの詩で踊ることもできるみたい。




そんな斬新な演出の後、今度は有名な長詩「ズボンをはいた雲」を朗読、そして少しダンス。この詩が好きな怪しい外国人観客は思わず口ずさんでいましたが何か?これがまた好きで暗記してるところばっかり引用されてるから一人満足気ににやにや。




このシーンで気に入ったのが、マヤコフスキイを演じているだろうと思われる6人くらいがまったく「マヤコフスキイらしく」ないこと。長詩「これについて」の中で見せた自己分裂がモチーフにされていたのかな?一人の人間がマヤコフスキイを演じているんじゃなくて、詩人のかけらを持ち合わせた数人で表現するとでもいうのか。マヤコフスキイがよく用いた―と僕は思う―語り手も自分、主人公も自分、他の登場人物も自分、だけどそれぞれを別々の人物として描く「自己の解体」を逆手にとって、「解体されたものの集合によるマヤコフスキイの体現」を巧みにやってのけている気がした。実際のところはしらないが。



楽しい朗読に続いて、今度は歌。「ヴァイオリンすこしおかんむり」、「聞け!」とタイトル知らない詩の3編をピアノとバイオリンにあわせて熱唱。すごくいいんだけど、劇のタイトル「愛の本質について」に関係しているのかが分からず困惑。エンターテイメントとしては秀逸なのに、主題があんまりつかめない。




こんな風に朗読もダンスも歌も交え詩の世界を堪能していたら劇が終ってしまいました。この劇の台詞の下にある哲学がいまいち読み取れなかったのが残念。でもこういう一般受けしないハイレベルな演劇は好き。ただもうすこし突っ込めるようマニアにならないとね。




思ったことを忘れぬよう夜の出来事から逆行しますが、今日は学校のクラスを変えました。半年目にして、です。




理由はいろいろあるけれど、今のままだとレベルアップできそうにない、というのが最大の理由でしょう。難しいクラスに移住です。




そんなクラスに、今までの担任の先生が「あなたにはここしかないわ」といったから何も考えずに参加したわけですが、








みんなぺらぺらじゃんー゜Д゜








プーチンの国会諮問(!?)をラジオで聞いてそのまま意見しちゃえる人の集まりです。岡野さん単語拾うのでいっぱいいっぱい(死)宿題も単語が分からなさすぎて、今夜はマジで寝れない予感wでももう脱ロシアまでんまり時間がないので荒治療だと思ってがんばります。追い出されないのが、当面の目標ですかね。




そんな現実を忘れるべく良いタイミングに旅行がやってきました、週末土日月!
こんどはロシア南部はスタヴローポリ地方にある保養地都市ミネラーリニエ・ヴォーディ(鉱泉の意)と作家レールモントフが決闘で命を落とした地ピャチゴルスクに行ってきます。が、今まで行った中で最高に治安が悪いみたいなので泣きそうです。3日間何事もなくすんでくれ。



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(画像:外務省HPより、下線が週末行くところ)






まとまらぬお粗末な日記になってしまった・・・。まあいいやw




これからは気合を入れて、
趣味でも勉強でも旅行でも、最大限にロシアを吸収します。よしがんばる。

バイトをしてきた

留学中はバイトしない




そう決めていたので今まですべてお断りしてきたんですが、




1回きり、という条件と「助けて」の言葉に負けてうんと言いました。




うんと言ってしまった後けっこう後悔したその仕事とは・・・


















CMのエキストラorz







はじめは何にも知らされていなかったので軽い気持ちで行ったんですが
なんと国営放送など主要3局で流れるCMなんだとか。
あーもう笑うしかない。





日本にも支社のある会社のコマーシャルで、
日本人がスーツ姿で働いているところが5秒くらい流れるっていう内容なんですが
なんとその準備から撮影までの全工程に7時間以上かかりました(死)





まず出演する日本人10人の着替えとメイク。
岡野さんはキャスティング・ディレクターに「君、やせてるからサイズないんじゃない?あははー」とからかわれたり、衣装係のおばさんたちにやたら気に入られて半ば着せ替え人形化してしまったりしてスーツ着るだけに30分近くかかりました。
ズボンは着替え中部屋にくどいほどちょっかいを出しに来た某キャスティング・ディレクターの予想通りぶかぶか。ベルト1周半させて、新しく穴あけてなんとか着ました。




一方メイクは一瞬。顔ちょっと塗られて、髪型は「完璧よv」って言われ終了。
衣装係2人の手際の悪さが際立つw




着替えもメイクも終ったら、いよいよ撮影。
ここにきてなんでこの仕事引き受けたんだろうと後悔。笑
まあロシアだし、なんて根拠のない油断をしてたけど本気の撮影スタジオ・・・
仕事をなめちゃいかんですね。




最初はオフィスで仕事をしているシーン。
電話をしたりメモしたりする演技をやってみるも意外に難しい。
たった数秒のためでも妥協しない撮影スタッフのプロ魂にこたえるべく
とにかく受話器片手にプリンター触ったりして働いてるっぽくみせかけた。
演技には向いてないなあーとつくづく思いました。笑




その後のシーンは岡野さんお休み。
他の人が演技してるの観ながら・・・ロシア人観察v
撮影スタッフの主要メンバーが若い(20代とかざら)。
日本でもこんなに若いのかな?しらない世界はほんと観てるだけでたのしい。





ぼけぼけしてたら最後のシーン。
みんなで喜びを分かち合うっていうシーンなんだけど、
いっせいに立つタイミングや演技が気に入らないのか
なかなか監督のOKが出ず、同じシーンを20回以上繰り返しました。
最後の方は笑顔が引きつってたりw




撮影が終ってみれば1時過ぎ。夜中です、もちろん。
ああもうメトロもないやとがっくりしていたら

「タクシー代でるよ」

さすがテレビ。出演者への待遇がちがいます。
ちなみにバイト代も出ましたvv
はじめはボランティアだと聞いてたので最後の最後にうきうきしてました。笑




テレビ関係の仕事の人は、納得がいくまで撮影が続くのでいつもこんな風に
深夜まで仕事がずれこむそうです。みんな弱音ひとつはかないんだよ。ほんとすごい。
衣装係のおばさんたちも終わりまでずーっと待っててくれて、
しかも文句ひとつ言わない。みんな見習うべきよくできた人間です。




まだ編集が終っていないので、どうなったのかは知りませんが
1ヶ月もすればロシア全土に流れるそうです(恥)
1日たった今でもなんか恥ずかしいw




とにもかくにも面白い経験ができて良かったです。
仕事紹介してくれた友達、ありがとう。




そして今回学びました、













演技はするもんじゃなく、観るもんだと。

ここに来てシェークスピア

今日は大好きなユーゴ・ザーパド劇場で「ハムレット」観劇。
実際シェークスピアの劇を見るのは初めてなんだけど、
映画より迫力があって良い◎
この劇場お得意のシェークスピアだからと期待した甲斐があった。
激しい音楽とステップが古典にマッチしてるのがなんともいえない。
僕はモスクワ芸術座の古典的な演出よりもこっちのほうがすき。



全体としては大満足だったんですが、
せりふの多い劇だったのでロシア語の意味が分からなくて混乱。
今日は怒ったり狂ったりするシーンでとても早口だったので、
耳がロシア語に取り残されていました(死)
聞き取りの鍛錬が必要ですね・・・。



ロシアに来て、日本にいるときにシェークスピアの戯曲全部読んでおけばよかったなーと今更ながら思います。ロミオとジュリエットもハムレットもリア王も大人気の演目。基本的な西洋古典に慣れ親しんでおけばよかった・・・(遠い目)



ロシアでは小学生くらいの子からお年寄りまで、みんなよく劇の話を知ってるし、ちょっと不良っぽいつんとした男の子たちまで演劇やバレエを観に来ます。クラブやゲームセンターが乱立するモスクワでもこうやって劇場に足を運ぶ若者がいるのはなんだか微笑ましい。(岡野さんも若者ですw)そして何より一人でも気軽に観に来れる雰囲気なのが初心者には嬉しい。



中には学生は無料で入れてくれる劇場もあるし、世界のボリショイ劇場は破格の値段(100円くらい)で入れちゃいます。演劇やバレエを安く観るチャンスを提供してくれている劇場が多いのも本当にありがたい。この分だと暖かくなるまで劇場通いが続きそうです。










話は変わりますが、今日クラスに新しく中国人がやってきました









が、まったくもって何を言っているか分からず、









彼が話すたびに発音の悪さにみんなが爆笑してしまうので

















1時間で先生が他のクラスに強制移住させました

ちなみに先生・クラスメイトのコンセンサスでw














日本・トルコ・ロシア(フランス欠席)が手を組んで、
非常に保守的なクラスが出来上がったようです。

いつも答えない質問

朝通学途中ばったり会った韓国人の友達とトラムでおしゃべりしていたら、
路面を走る轟音をすりぬけて彼女がこう聞いてきた




「ねえ、何で私たちモスクワにいるんだと思う?」




そんなことロシアに来てから考えたこともなかった。




少し困ったなという僕の表情を読み取ったのか、
彼女は続けた




「私ロシアに来るまではモスクワは憧れの場所で、モスクワそのものが夢だったの。でもいつも間にかそれがそう思わなくなって、理由をなくしちゃって・・・。先生に何でロシア語を勉強してるのって聞かれてもいつもロシア語の響きがきれいだから、とか嘘ついてるの。」




僕が答えられたのは
「それは一番しやすい質問で、同時に一番答えにくい質問だよね。」ってだけ。





ロシア語を始めた理由はもうとっくに失ってる。
高校生のときはただただ外国語に興味があって、学校で勉強した英語の属するゲルマン語族と自分でよちよちやってたイタリア語を含めるロマンス語族以外の言葉に触れてみたいって思ったから。別にロシア語じゃなくてもよかったんだよ。




それでどうしようなんて選びかねていた高校3年生。
大好きだった日本史に出てきた個人的に青春の人、大杉栄がロシアの革命家クロポトキンに影響を受けていたと知って、ロシアってラクスマンやゴローニンだけじゃないんだーと認識したのも今思うときっかけなのかもしれない。(これでも健全な高校生でしたけどなにか?)




当時は劇場占拠事件や学校占拠事件でロシアって文字が新聞に沢山印刷されてたから、大杉栄が読みふけったロシアとも二葉亭四迷が訳したロシアとも片山潜が骨をうずめた(inクレムリン)ロシアともちがうロシアがテレビ画面や紙面から手招きしてたのかもしれない。




結局この頃ロシアに惹かれた訳はもうとっくに忘れてしまったし、
ロシア語を選んだ理由もわからない。




大学に入ってロシア語の勉強に苦しめられながら、高校のときはある種の終着点だった外国語の習得が通過点でしかないことに気づいて、じゃあその先になにを見つければいいんだろうと考え始めたことが高校生の時の目標をリセットしてしまった。





ロシア語の向こう側にある到達点を見つけたのは1年生が終る頃だったかな。
興味を広げようと思って手に取ったロシア文学史の本に載っていたマヤコフスキイの「これについて」を読んだ時。改行多くて、意味わかんないから「変なのー」って思っていたけど、博物館で彼の詩の世界を、彼の生きた芸術の世界を体験したことで「意味が分からないことにも意味が込められているんだ」と彼を見直したのがここ2年間僕を陰で支えてきた「ロシア語を勉強する理由」なんだと思う。彼を理解することが今一番の目標だから。





こうやって理由も変化し続けている。だからいつも答えに窮する。
30分我慢して聞いてくれるなら一通り全部話してあげられるけど、
単文で、美しい語彙で答えることはできない。




しいて答えるなら


アメリカでもイタリアでもなくロシアが、

いつも僕の身近なところに潜んでいるからなんです


となるのだろう。







しかしながら、このレトリックをロシア語で伝えるのは至極難しい

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