ボロージャのZUMZUMZUM

都会を離れて

今日はモスクワからちょっと遠出。レニングラード街道沿いに伸びるエレクトリーチカ(近郊電車)に揺られて向かう先は、モスクワの西北に位置するソルネチノゴールスク市。

朝から出かける予定だったけど、朝ごはんのんびり食べて、メール返してとかしてたら出発12時でした。目的地までは電車で1時間半くらいなのでまあ問題ない。

ご飯食べて眠くなりながらも、まずはレニングラード駅に到着。近郊電車のカッサがすごい行列なので途方にくれていたら、自動券売機がある!!使い方が分からないので近くにいたお姉さんに買ってもらう。切符が何故か19ルーブル(≒95円)。安すぎるから不安になりつつも、乗車。


・・・そして不安は的中・・・


しばらくして始まった車内での切符チェックで、


車掌「あんたの駅とっくに通り過ぎてるわよ!!」

ぼく「はあ!?よくわかんない。」

車掌「駅を通り過ぎたって言ってるのよ!!何聞いてたの!!!!」

ぼく「いや、ポドソールネチナヤ駅(21駅目)までなんですけど。まだですよね。」

車掌「あんたの切符ホヴリノ(6駅目)までよ!追加料金払いなさい!!」

ぼく「はい・・・」

というわけで罰金250円あまりを支払い、ご丁寧に『罰金領収書』なるものを頂きました。切符買ってくれたお姉さんはいったい何してくれたんだ。笑

そのままガタゴト揺られて、目的地ポドソールネチナヤ駅に到着。

01vokzal-sol.jpg


駅を出てバス停を1回間違えて、目的の24番バスのりばへ着いたのが14時すぎ。
なのにこれから向かうシャフマトヴォ村へのバスが16時にしかない。
どんだけ田舎なんだ!!と思いながらも、しょうがないのでタクシーをひろう。


ところで今回ソールネチノゴールスク市、シャフマトヴォ村に来た目的はこれ↓

02pamyatnik.jpg


さあ、みんな声に出して読んでみよー。

そう、ここシャフマトヴォにはロシア・シンボリズムを代表する詩人アレクサンドル・ブロークのおじいさんの屋敷が保存されているんですー!!そして上の石碑にも書いてある通り、幼少から彼は夏の間ここに住み、詩作などに従事していました。彼はこの地についてこんな詩行を残しています:

教会は川の上で白み、
川の向こうにはまた―森林、野原・・・
こんなやさしい美しさをもって
ロシアの大地は輝いている

(拙訳おかの)

03usadba.jpg


屋敷はなかなか大きくて、デザインはシンプル。窓ガラスの色をところどころ変えてあるのがなかなかいい味を出している。ブロークの祖父母の部屋、食堂、客間、2階には小さな図書館、そして書斎といったつくり。食堂では頻繁に文学談義が繰り広げられたそうです。ゆっくり部屋を見て回りたかったんだけど、ツアーの大群を避けるため博物館員のおばさんがおかのを引っ張りまわすので順番とかめちゃくちゃ。ブロークのおばあちゃんの部屋ちゃんと見れなかった・・・涙

博物館を出てからは、屋敷の周りに広がる庭園を散歩。天気もいいし、空気もおいしいし、花も咲いてきれいだしと言うことなし。ヤースナヤ・パリャーナよりこっちの庭園のほうがきれいで気に入った。

04tsvety.jpg


たまたま結婚式もやっていて、新郎新婦がドレスアップして博物館のツアーに参加していて不思議な光景でした。ちなみにブロークの奥さんは、かの有名な学者メンデレーエフの娘さんです。メンデレーエフの実家は隣の隣の村にあります。

05usadba2.jpg


屋敷の周りをぐるっと回って。今度は林の中の散歩道を進んでいきます。
色んな花が咲いていて、木々の緑が太陽の光でぴかぴかしていてほんと夢みたい。
ベンチに座ってしばらく自然の中で無になっていました。

06ten.jpg


一人できてるのにこんなに元気!笑
恥ずかしいとか最近なくなってきたよ(危険)

07tsvety2.jpg


花の見ごろはもう過ぎてるみたいだったけど、枯れていなくて良かった。
おかげでハチがいっぱいいて大変だったけど。笑

17時近くなったので、そろそろ駅までリターン。
行きはタクシーで来たけど帰りは節約してバスで、そう思ってバス停の場所を聞くと・・・

最寄のバス停が3キロ先だというじゃないか!

08priroda.jpg


「ほんとに!?」と驚嘆しているおかのに博物館のおばさん2人は、

「ブロークは8歳のときからここを歩いていたのよ!大丈夫!!」

とあんまり励まされない励ましの言葉をかけてくださりました。


というわけでいざバス停へ。


始めは空気がおいしいーとか楽しく歩いていたんですが、途中で変なブンブンいう虫に追いかけられてパニックになった後はもう体力なし。笑 結局道を通りかかったおじさんのバイクに乗せてもらってバス停までたどり着きましたv

09doroga.jpg


ブロークも昔ここを歩いたのかーって考えてるときは何か彼を身近に感じました。
まあ、普段から読んだりするわけでもないんですが。
もうちっと予習をしてくるべきだったかもしれません。

駅までのバスは2時間に1本。人がぎゅうぎゅうでみんな絶叫。
もうぜったいあんなバス乗りたくない・・・笑

というわけで

モスクワ近郊の自然に触れ、
ロシア文学の遺産に触れ、
未知なる町を体験した、

久しぶりに冒険したみたいで楽しかった1日でした。

北コーカサス旅行の余波

コーカサスへ行ったことは自分にとって大きなこと。
長年の(といってもここ2年?)の夢のひとつを果たせてよかったし、
何よりも危険な事件に巻き込まれることなく旅行が終ったのが嬉しい。



旅行から帰った次の日、日本でお世話になったロシア人の先生に会った。
なつかしー!と思って先生にみんなで飛びついて、再会の喜びを・・・



と思っていたら開口一番



「カナメ、コーカサスにいたんだってな!もう二度と行かなくていいよ!!!」



とお叱りを受けw



「でも何事もなく、大丈夫だった。」といったなら



「そういう問題じゃないんだよ!!あっちでコーカサスの民族に誘拐されたらどうするんだ!!!あっちではそういうビジネスがあるんだぞ!!!!」



とさらに説教されてしまいました。



「人はみんないい人だったよ」と言いかけたなら



「カナメ、君は髪も黒いし、顔もなんとなくコーカサスの人に似てるから良かったんだよ!!あははw」



そんなところで得してたのか、自分(笑)
いっきなり怒られたけど、お土産あげたら先生喜んでたし。
よかった、のかな?



そんな説教を聞き流しつつw
友達にはピャチゴルスク陶磁器のお土産をプレゼント。
コーカサスは陶磁器産業が盛ん。



その陶磁器の花瓶を何故か早速筆箱代わりに使った友達
担任の先生に「これはチェチェンのお土産です」といって先生をたいそう驚かせる。後でその先生とすれ違った岡野さんは先生にいつになくにやにやされる。変な誤解を生んでいるんですけど・・・死



そんなロシア人の先生方の反応をよそに、
買ってきた絵葉書を見返しつつ誰にあげるか考えていたら
衝撃の絵葉書を発見した。





※画質がすこぶる悪いですので注意してご覧ください。



pika.jpg






見えた?





pika2.jpg




ヨーロッパ一高い山、エリブースにピカチュウピカチュウピカチュウ!!!



ピカチュウがエリブースで楽しそうにスキーしてることも驚きながら、
観光地の絵葉書セットにこの写真が採用されたことも最高に驚き。
(ちなみにこのコスプレをしているのはロシア人かヨーロッパ人かとおもわれる)





エリブースの自然を背景に
南ロシアの観光産業にいちやくかっている(!?)ピカチュウさんでした。

ミンヴォーディでのトラブル

ミンヴォーディことミネラーリニエ・ヴォーディ市へ電車で到着した3日目、
首尾よく進んでいたコーカサス旅行に邪魔が入った。

mv.jpg

(ミネラーリニエ・ヴォーディ駅)



駅を出て、帰りのフライトまでの時間をどうつぶそうか考えていたら



なんと駅前で

militsiya.jpg




警察の哨所に連行されちゃったではないか。
(写真は哨所)





外国人登録に厳しいロシア南部では、警察によるパスポートチェックが頻繁に行われています。
しかし問題なんて岡野さんにはないので関係ないこと。


いつものことだ、と余裕。


が、運が悪かった。よりにもよって岡野さんを連行したこの警官がおばかさんだったんです。



そんな警官2人のした質問:


・ミネラーリニエ・ヴォーディへ来た理由

→旅行です、といっても信じてくれない


・スタヴローポリ地方における登録はあるか

→ある。けどミンヴォーディではなくピャチゴルスクで登録したから警察のパソコンじゃ確認できず。さらに疑われる。


・ビザに勉強とかいであるけどどこで勉強しているのか。

→モスクワ大学。


・何学部なんだ?

→今は研修みたいなもんだからロシア語しかしてない。


・将来はロシアで働くのか?

→働かない。日本で働く予定。


・もう一度聞くけど、ここへ来た目的は?

旅行だってば


・一人できたのか?

→そうだよ。誰も来たがらないからね。


・ミンヴォーディにいたのか?

→ピャチゴルスクにいました。登録の紙に住所書いてあるでしょ?読んでないの?(この辺から岡野さんがいらいらし始める。)


・ピャチゴルスクで何を見たんだ?

→レールモントフ博物館。マシューク山。


・なんでレールモントフなんだ?

→「僕の専門は文学で、興味があるから!そんなこと果たして関係ありますか?」


・麻薬はやってないよな?

→やってないよ。かばんの中でも探してみれば?(あごでかばんを指す。警官、思わずひく)


・ポケットには何があるんだ?出してみろ。

→航空券、お金、学生証、エイズの証明書、保険の証明書。


・(触りながら)おい、ズボンのポケットになにかあるじゃないか、なんだそれ?

お か ね!!そこまで確認したいならみせよーか?


・(学生証を手に取ろうとして)おっと、何か落ちたぞ。

→ちょっと人の定期落とさないでよ!アクラートナ!!!!(気をつけてよね!の意。若干きれ気味でw)


(岡野さんの声が大きくなりつつあるのに若干びびりつつ)お、お前いつロシアにきたんだ?

→1月。パスポートに書いてあるでしょ?


・(パスポートをまた見ながら)このビザ期限切れじゃないか!

さっきそこに有効なビザおいただろーが!!!!(ここでとうとう机をたたくw)





・・・こんなあほくさいやり取りの後警官2人は言った、


「そうか。問題はないな。うん大丈夫。ごめんな、長く引き止めて。




(皮肉な調子で)「いえいえ、問題がなくてよかったです。ほんとうありがとうございました()」




「そんな怒るなよー。お茶かコーヒーでもだそうか?」





「ぜんっぜんいらない!さよなら!!!!」
(ダッシュで市場へ逃げる)




数ある質問の中で、意味のあるものがいくつあっただろう?

警察官の暇つぶしに付き合わされた岡野さんは、ついてなかった。





そういえば警官に聞かれて絶句した質問がありました:






「お前男の子だろ?何でそんなにきれいなんだ?」





・・・Я крыл нечем.(言葉に窮しました。)
辞書で見たきりのイディオムは、こういうときに使えます(死)

山へ登ろう

ロシア人にコーカサス地方へ行くといえば、




「あそこには山があるよ!きれいな山が!」




という一様で非常につまらない答えが返ってきます。




なぜみんなこぞって山について話すのかといえば、ヨーロッパ・ロシア(モスクワやペテルブルク)には高い山がなく、そこで暮らしているロシア人は「山はウラルかコーカサスにあるもの」的考えを持っているから。



山に対して一種の「異郷」のイメージを持っている彼らにとって、コーカサスの山は詩や小説を通して知る世界であり、最近はニュースを通して知る危ない場所でしかない。コーカサスへ行くといったときの彼らの反応はさまざまで、「山がきれいだからオススメ」っていう肯定的な答えや、「あらそこには山があるわよー。でも慎重にね。」っていう少し憂慮気味の答えが半分半分くらいだった。ちなみに今回の旅行は日本でお世話になったロシア人の先生の度肝を抜いたw



そんな異郷をみれることにわくわくしながら行った岡野さんは到着して驚いた

gory1.jpg




日本でこんな景色みたことあるぞ!!!!



そんなデジャブに囚われつつも、ピャチゴルスク市で一番高い山マシュークのふもとをうろうろ。ちなみに天気は曇り、気温はマイナス4℃だったので山歩きには非常に向いていなかった。そういえばガイドブックにも書いてあった、




「山の一人歩きは非常に危険です。」





しかーし、そんな山歩きを楽しんでいるといいこともある。

orel.jpg

カフミンヴォーディ(毎回言うけど勝手に略してるわけじゃあない)のシンボルである鷲の彫刻に出会ったり、

sanatorii.jpg

サナトリウムを一望できたり、

gory2.jpg

コーカサスの山にいるっていう実感があってたのしい。
先生が「外国人はモスクワとペテルブルクをロシアだと思っている」といっていた意味が少し分かった気がする。ロシアは広い。



しばらくすると歩くのに疲れたので、今度はロープウェイでマシュークの山頂へ。
ロープウェイからの眺めをカメラに収めるぞ!!と意気込んでいたのですが、
定員20人のロープウェイにきっちり20人乗ったのでぎゅうぎゅう(死)



窮屈な場所でシャッターをきるも写ったのはこれ↓

v-kanatke.jpg




もうあきらめましたw



数分で到着した山頂からの眺めは最高。写真じゃうまくパノラマ感が伝わらないのが残念です。

izMashuka.jpg




山の上から一人「こっちがミンヴォーディでしょ、じゃああっちがチェチェン(実はお隣)かなー?」とかありもしない地理感覚を使って考えてみるも、結局遠すぎて何にもわからずw
寒さは標高1000メートル近いので半端じゃなかったけど、眺めがきれいで良かった。



山から下りた後はあったかい鉱水片手に一休み。

水飲んだし

レールモントフについて見て聞いたし

山登ったし


・・・コーカサスでしなきゃいけないことは、もう全部したんだっけ?












あ!!!








日も暮れる頃にホテル決めてないことに気づいた、
まぬけな日本人がここにいました。

ピャチゴルスクに散る

ロシアの詩人といえばプーシキン、それに続くのがレールモントフ。
後世に彼ら以上の才能を持った詩人はロシアにはいないといわれる。




pamyatnik.jpg

M・Yu・レールモントフ



1825年、10歳の詩人はリウマチを患ってピャチゴルスクへ療養に来た。
これが彼にとって初めてのコーカサス。



1837年、プーシキンの死に際して書いた、社交界を批判した詩『詩人の死』が手書きの原稿で出回り、皇帝の目に触れて激戦地コーカサスへ「転任」となる。



1840年、決闘をしたかどで再びコーカサスへ流されることになる。



1841年7月15日(新暦では27日)友人マルトゥイノフと決闘して死ぬ。銃弾が当たってほぼ即死だった。





27年に少し足りない、短く激動に満ちた人生はこうして幕を閉じた。
有名な小説『現代の英雄』は1840年の作品。ここにもピャチゴルスクが出てくる。




domik.jpg

レールモントフが暮らした家



市内には関連する博物館が4つ(レールモントフ史跡公園)、決闘の場所、小説の舞台などゆかりのある場所を数多く見ることができる。長らく彼の決闘の理由を知らなかったのだけど、この地でその理由を知ることができた。決闘を挑んだのは友人だったそうだ。





そんな決闘の理由は「レールモントフに婦人たちの前で笑いものにされたから」。





しかしながら、笑いものにされて決闘を挑んだマルトゥイノフはレールモントフが自分をからかってくれるだろうと思ってわざとチェルケス人の民族衣装を着てきたといわれている。彼らは良い友人であり、関係も極めて良好だったそうだ。友人の悪意のない嘲笑が、「それ以上」のものになってしまったのだろう。




決闘でレールモントフの心臓へ銃弾を打ち込んだ彼は、半年間刑務所へ入り、その後キエフの修道院での懺悔を義務付けられたらしい。彼は60歳を越える高齢まで生きたそうだ。




mestodueli.jpg

レールモントフ決闘の場所





決闘の際詩人は銃を友人へ向けることなく、銃弾を空へ放った。


2人の間の距離はわずか30歩。







銃を天へ向ける詩人を見た友人は何を思ったのか


銃を自分へ向ける友人を見て詩人は何を思ったのか







レールモントフは最後までマルトゥイノフの友人であり続けた


ペチョーリン(現代の英雄の主人公)とはちがって。

[Valid RSS]